春の里山 大粟山    2014/04/30
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上一宮大粟神社 天岩戸立石神社

- 古のロマンを求めて オオゲツヒメに会いに行こうか -

今日は神山町神領の大粟山へ行く予定。

と言っても山登りが主目的では無い。

以前から気になっていた上一宮大粟神社

大宜都比売命(オオゲツヒメが祀られている)



神山神領から見た大粟山

麓に上一宮大粟神社の大鳥居が見えている。


国生みの時、二番目に伊予之二名島(いよのふたなのしま)つまり四国が生まれた。


その中で阿波国の名は大宜都比売命(オオゲツヒメ

オオゲツヒメは国として生まれたがまたその後に食物の神としても生まれる。

その後スサノオに殺されたり非常に重要な役割を担っている。

神社は神山温泉のすぐ横にあるがまだ行ったことは無い。

徳島に生まれて住んでいる以上、古の阿波について少しは知っておく必要があると思う。

オオゲツヒメの名前の「オオ」は「多」の意味、「ケ」は食物の意で、穀物や食物の神だ。

その後、高天原を追われたスサノオに食事を振る舞ったときに怒らせて殺されてしまった。

しかしまたその後でハヤマトの妻として八神を生んだとの記述があり色々な場面で活躍する女神だ。

社伝には大宜都比売神が伊勢丹生の郷より神馬に乗り八柱の供神を率いて遷られ
粟を蒔きこの地に広めたと伝わっている。

この神のまたの名を八倉比賣神と言う。


この社伝で伝わっていることが八神を生んだ事と関係あるのかな?

古事記に何度も登場する大事な神様だが、この上一宮大粟神社と分社の一宮神社にしか祀られていない。



郵便局から左へと曲がると立派な石の大鳥居がある。

島木と柱の間に台輪と呼ばれる座があるので台輪鳥居と呼ばれる形式の鳥居だ。

大正時代に建設された物。



右側に一見するとお墓のように見える五角形のペンタグラム。

阿波にはこんな五角形の地神塔が数多くある。

少彦名命、大己貴命、天照大神の名前が見える。

しかし興味あるのはその台座や両脇の古い祠。

苔むして石も風化して崩れかかっている。

可成り古い物のようだ。



うなり声を上げているような狛犬が。

向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子、左側が口を閉じた「吽像」。

しかし角は無く狛犬では無くて同じく獅子のように見える。

 阿吽の形になっているのは日本特有の形。

まさか平安時代の古い物とは思われないが堂々としていてとてもいい顔をしている。



狛犬の向こうにまた石の鳥居がある。

元々こちらの鳥居が本来の鳥居だったのだろう。

同じく台輪鳥居のようだ。

柱に彫ってある文字は難しくて読めない。



随神門の中には随神像が。

随神像とは、神社や廟びょうを守護するために安置された一対の神像をいう。

向かって右側の神像は左大神・看督長(かどのおさ)で、俗に左大臣とよばれ、武官の服装をし兵杖を持つ。

向かって左側の神像は矢大神・門昏神(かどもりのかみ)で、俗に矢大臣と呼ばれ、弓矢を持っている。

神仏習合であった頃は仁王像があったのかもしれない。



神門からは苔むした参道が続く。

両側にはタカトウダイ?やホウチャクソウなどの野草が沢山咲いている。

ホトトギスの葉も多い。



苔むした石段は幅が広く段差も大きくて登りがいのある堂々とした石段だ。

登り切ると広い境内に出て拝殿がある。

なかなか立派な拝殿だ。

この神社は、延喜式神名帳に記載される名神大社「阿波國名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つだ。。

天石門別八倉比賣神社は神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願所となり、元暦2年(1185年)には正一位の神階を授けられた。

平安時代には、現在の徳島市一宮町に当社の分祠として一宮神社が創建された。

明治28年(1895年)に現在の上一宮大粟神社となった。

また、旧事記によると当社の古代祭官は応神天皇の御代に千波足尼が国造 を拝命し

以後三十四世にわたって祭事を司ったらしい。

応神天皇と言えば実在したとされる最古の天皇。

この神社はその昔からあったと言うことか?

町の調査によると承久3年(1221) 阿波守護小笠原氏の縁で創建されたとある。



拝殿の中には色々な奉納品が飾られている。



立派な天井絵がある。

反対になっているが相撲取りの絵がいくつかある。

絵が反対になっているので画像は上下を反対にしてあります。



古い瓦が飾られている。

鬼瓦だろうか?



御輿も奉納されているようだ。

上一宮大粟神社の近所に、応神天皇が祀られている八幡宮がある。

祭りの日には、上一宮大粟神社から空の御神輿が八幡宮までお迎えに行き、

八幡宮からの御神体が大粟神社の神輿に乗せられ、其の後大粟神社まで戻って来る。

そして、八幡宮の御祭神、応神天皇の御神体が、大粟神社の本殿の中に入り、一泊してオオゲツヒメと神議りをするという。

2013.10.13の様子



真名井の井戸がある。

苔むした蓋は開かず苔の中の丸い穴に柄杓を入れて水を汲む。

一口戴いたが冷たくて美味しい。

隣に蛇口があり水を汲んで帰ることも出来るようだ。



結びの大御神社(おおみやしろ)



水の神様との関係が深いらしい。



本殿は真っ赤

大宜都比売が伊勢丹生の里よりやって来たとされることと関係あるのだろうか。

丹生の里は水銀朱の産地

結びの大御神社の左から山道を登っていく。



竹林の中を登っていくと真名井宮がある。

かつて泉が沸いていた場所らしい。

御祭神は、罔象女神、龍王大神




竹林の中には美味しそうなタケノコが沢山頭を出している。

ユキモチソウやムサシアブミも一杯咲いている。



希望の鐘と書かれた梵鐘がある。

上一宮大粟神社宝鍾の碑がある。

この鐘は隣の神宮寺の鐘では無くて上一宮大粟神社の鐘のようだ。

一つ撞かせていただくと澄んだ良い音がした。



何故か瑜伽大権現が祀られている。

瑜伽大権現は行基が阿弥陀如来・薬師如来の二尊を祀ったのが信仰の始まりと言われているが?



中を覗いて驚いた。狐が祀られている。

そういえば真っ赤な鳥居がある。

お稲荷さんのように見える。

中に龍光寺の剱山大権現と書かれているのはますます不思議。

実は、大宜都比売命はオオケツヒメで大きな狐の姫 だという人も居る。

ケツとは狐のことだそうです。

空海によって四国を追い出され鉄の橋が架かったときに帰ってくると予言されているらしいです。

その狐を瑜伽大権現を隠れ蓑にして祀っている?



いわれの解らない社もある。

弁天池からは神宮寺の境内。



太子堂も立派だ。



神宮寺周辺には苔むした大楠が何本もあり歴史が感じられる。



ぼけ封じのお寺らしい。



また神社に帰ってくる。

拝殿や本殿は一間社春日造らしい。

やはり真っ赤な本殿が目立つ。

ご神木は銀杏の木だ。



拝殿をよく見ると立派な彫り物がなされている。



素晴らしいなあ。



どこかから落ちてきたた岩と古い祠

この横から大粟山頂上に登ることが出来るらしいが忘れていた。

今度登ろうと思う。



拝殿に向かって左側、大国主命をお祀りしている祠の左奥から山頂への道がある。



緩やかな道を登ると秋葉神社がある。



秋葉神社は火防(ひよけ)・火伏せの神

火伏せの神でもあるため、燃えにくい石造りの祠が多いと言うが、まさにその通り。



神社の周辺にはタツナミソウが群生している。

シライトソウに似た花も多い。



樹木が開けたところでは神山の村落が見える。

登山路は整備されていて分岐も多い。

この先には桜の森もあるらしい。



石で造った蛇のようなウオームのようなアート作品。

この道はアート・ウォークと呼ばれているようだ。



色々なオブジェがあり名前を書いた石が置いてある。



山の中にこのような石を持ってくるのも大変だったことだろう。



テーブルやベンチもあるが古びていて長い間使用されたことは無いようだ。

登山道の途中に広場がいくつもあり昔は山中に人が住んでいたのでは無いかと思われる。



20分程、彼方此方見ながら登っていくと大粟山山頂255mに着く。

奥の院の祠がある。



山頂直下からは鮎喰川の流れの向こうに右は焼山寺山

正面には東宮山

その左には霞んで見えている高山は剣山だろうか。

左には、梅の木峠から芝小屋へと続く稜線が見えている。

高根山は見えないが尾根を伝えば行くことが出来るように思える。

この大粟山は小さな山だが神山の神領から剣山系の山々へと入る関門となっているように思える。



頂上からはいくつもの道がある。

コバノガマズミの花が咲き始めている。



静かで落ち着いてヒノキの森が続く。

コガクウツギの花が咲き始めている。



桜の森に下って行く。

すごい数の桜が植えられている。

花の時期には素晴らしかったことだろう。

変なクレータのようなアート作品



こんな所に四等三角点「西上角」196.9mがある。



アザミが咲き始めている。

また登っていくと休憩所に着いた。



コナスビの花とも今年初めての出会い。

マルバウツギが咲き始めていてウツギの季節か゛やってきたことを告げている。



ジシバリやハハコグサも春の日を浴びて元気いっぱい咲いている。



トウバナも目立たない花を精一杯に自己主張している。



ニホンカワトンボが飛び回っている。

左は未成熟な雄。

右は成熟した雄。



また神社に帰ってきて石段を下る。

今日は大宜都比売命に会えるかなと軽い気持ちでやって来たが、期待以上に感じる事が多かった。

また落ち着いてやって来たいと思う。

オオゲツヒメ神話は焼畑で陸稲栽培をする民がもたらした。

縄文末期に日本に流入した。(2)母系的・陸稲栽培=狩猟民文化。

アウストロジア語系の民族の文化と一致。

狩猟生活とともに山地丘陵の斜面の焼畑において陸稲を栽培した。

太陽神アマテラスの崇拝・家族的・村落共同的シャーマニズム・司祭的女性支配者。

という文化をもった民である。

ちなみにアウストロジアとは南アジアという意味で、ベトナム・ラオス・カンボジア・マレー半島の山間部・ミャンマーのラオスよりの山間部、バングラデシュ・東部インドに散在する民族のこと。

アワは朝日を拝む聖地と関係し、オオゲツヒメ神話は太陽神アマテラス崇拝と共に東南アジアからやってきた。

そう考えるなら、「阿波国におけるオオゲツヒメ」とは太陽神と食物神の二つの神を併せ持っているということになる。

アワ系の地名は沖縄の泡瀬干潟から千葉の安房国まで、黒潮の流れに沿って太平洋側に広がっている。

国府にある「八倉比売神社」では「天日靈女命(天照大神)」が"八倉比売"と同一視されている。

"八倉比売"とは「大宜都比売神」の御別名とされている。

即ち「天照大神」と「大宜都比売神」が同一名で称されている。

もしかしたら「天照大神」と「大宜都比売神」が南方からやって来て高根山で集落を造った。

そして焼き畑農業をやっていたがやがて山を下りて神山神領で長く暮らした。

その後、鮎喰川を下り国府で大集落(倭国)を造ったと考えて古事記を読み直すと面白いかも?

その後、近畿に移り住み大和(日本)を造ったのかもしれない。

いずれにしても、縄文時代 → 弥生時代

弥生時代 → 古墳時代

倭 → 日本


大きく時代が変わったその時に神話で語られている出来事があったのかもしれない。



帰りに天の岩戸伝説のある立岩神社に寄る。



神山から大川原高原に向かう元山に立岩神社はある。



この神山の元山が香具山で此所が天の岩戸だとの説明板がある。




古くからある社の階段下に小屋が設立されている。

神門なのか。



神門に入ると阿吽の狛犬が迎えてくれる。

ずいぶんと上を見ている狛犬だ。



天の岩戸と言われるだけあってすごい巨岩だ。



神社にお参りする。

本殿の向こうは岩がそのまま露出している。



岩の手前を上まで登り一周する。

岩の割れ目が天の岩戸を連想する。



面白い狛犬の尻尾



対岸に回って不動明王と蛇神さんにお参り。

此所の淵を蛇淵と言うらしい。





里山倶楽部四国編 

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