冬の里山 あずり越え  2015/02/13
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 文化の森から経塚古墳経由で植物園へ  -

今日は久しぶりに天狗塚に行こうと思っていたが、山の天気予報によると1500m以上では15m/s位の強風とのこと。

また山間部では雪が降るらしい。

もし吹雪になればホワイトアウトとなる危険がある。

こんな日は里山歩きをするに限る。



何時ものように文書館から出発。



冷たい風が吹いて寒い朝だ。



寒いので汗もかかず明現神社に到着。

お参りしていると5人くらいのパーティーが追いついてきて先に出発した。



私たちと同じくらいの年齢の方々だが足が速くあっという間に見えなくなった。



樹間から大木辺りのバイパスの建設現場が見える。

文化の森のトンネルが完成して平成23年には沖浜からの道が通じる予定だったがずいぶんと遅れている。

最近工事のピッチが上がっているので今年中には部分開通するのかもしれない。



ピークで何時もの地蔵橋から小松島の眺望を楽しみあずり越えへ。

何時もなら途中でダウンを脱ぐのだが、今日は冷たい風が身にしみる。

植物園方向から次々と団体さんがやってくる。

平日の寒い日なのに、この縦走路は人気があるようだ。



ドコモの電波塔で一休憩。

今日の行動食はローソンの肉まん。

最近山歩き中に肉まんをよく食べるがこれがメタボの原因かな?



北の峰の三角点に挨拶してから、剣山遙拝所の鳥居で見えない剣山を拝む。



少し下ったところから踏み跡を直登してみる。

かなり急坂を登ると何時も南の峰を探す時に通るピークに出た。

やはりこのピークが南の峰なのかもしれない。



日が差してきて少し暖かくなってきたが気温はマイナス1度。

谷を渡って農道へ。



今日も家内の希望で経塚古墳へ。

アオモジの蕾が大きくなってきた。



蜜柑畑の上から見た植物園とその向こうには恥ずかしの峰

その右には論田辺りと日の峰山

その左奥には海が見える。



農道を離れて経塚に向かう。

このピーク全体が古墳なのだろう。



古い自然石の手水鉢をよく見ると碑文が彫ってある。

大きな文字は?

縦の文字は寄進者の名だろうか。

武* *久

辻岡 袖**と読める。



新旧の鳥居の向こうの石積みが経塚



この経塚のある経塚古墳は天若日子の神陵と云われている。



10年前に造られた鳥居を見ると辻岡さんの名がある。

先ほどの手水鉢に彫られた辻岡さんの子孫の方なのかな。

昔からこの経塚古墳を守ってこられたのだろう。



よく見ると手水鉢の下に置かれた自然石も味がある。

中にこの辺では産出しないと思われる赤色チャートのような石もある。



クチバシが黄色で足が黒いのはダイサギかな。



植物園まで登って昼食にしようと思うが冷たい風が吹いてとても食べる気はしない。

東屋などの下回りに冬期だけでも風除けのプラスティック板などを張ってくれたら良いのだが。

文化の森の芝生広場上の東屋はプラスティック板で囲ってある。

仕方が無いので風が吹かない場所を探してうろうろするが今日は何処も寒い。

気の遠くなるような嫌な階段道を登っても体が温まらない。



下の池へ下りていこうかと思ったが寒いと早く帰りたくなる。



また延々と階段道を登っていく。

よくまあこんな嫌な道を造った物だ。

やっと体が少し暖まった。

日も差してきたので石垣に腰をかけて昼食。



雑木林の中を稜線まで登って行く。



タチツボスミレやキランソウが咲き始めている。



今日も鳴門大橋がよく見える。



日が差してきても気温は0度

冷たい風が吹き付けるので体感温度はさらに低い。



あずり越えからの登り返しはやはりキツイ。



ピークには藪椿が咲き始めていた。

これからしばらくの間綺麗に咲いて目を楽しませてくれることだろう。



はずかし越とかニットキ越とか呼ばれる義経が越えたとされる峠のある中山?が目の前に見える。

この左の山裾には盛大な祭りで有名な勝占神社等があり、この辺は出雲系海人の 豪族が支配していたという。

一度縦走してみたい。

徳島は昔、北の地域は忌部(いんべ)氏の支配する「粟国(あわのくに)」

南の地域は三輪系(出雲系)の海人(あま)の活動した「長国(ながのくに)」と呼ばれていた。

大化の改新の後に「粟国」に統一され、

和銅6年(713年)、元明天皇の命により地名を二字で表記するため粟は「阿波」に変更された。

その粟国と長国の境がこのあずり峠のある文化の森縦走路だという説がある。

(神山から北が粟国で佐那河内から南が長国との説もある。)

長国造は長国(那賀川流域中心、徳島市・佐那河内村・小松島市・勝浦郡・那賀郡・阿南市・海部郡)を支配したとされる。

私の子供時代にも大祖母や祖母は北方、南方と言っていた。

もちろん私はそんなことは気にしたことは無いが、結果として同じ長国生まれの家内と結婚した。

やはり私は長国の人間で、出雲系海人の血を引いているのだろうか。

(吉野川流域低地の畑作地帯を北方(粟国)、水田単作地帯の沿岸部を南方(長国)と呼ぶ)

しかしこの呼び方には徳島の大部分を占める剣山系などの中央山岳地帯が入っていない。

いずれにしても粟国と長国は小さな山で遮られているだけで、今の上八万町の辺りでは境も無かったようだ。

戦の跡も無いようなので、二の国は協調関係があり仲良く併存していたのかもしれない。


大化の改新の後に「粟国」に統一された時には、出雲系民族の国譲りのようなことがあったのかもしれない。




明現神社や祠にお参りして芝生広場に向かう。



芝生広場では白梅が咲き始めている。

まだ花の咲いているのは数輪だが、つぼみはずいぶん膨らんでいる。



紅梅はもう満開。

寒い季節にピンクが目に鮮やか。



ロウバイはもう終盤だが甘い香りが辺り一面に漂う。



シナマンサクも花の盛り。



マンサクも満開となっていた。



ベニバナマンサクも今が花の盛り。



深紅の花が美しい。

今日は、冷たい強風が吹く寒い一日だったが気持ちよく散策することが出来た。

春を呼ぶ花たちも咲いていよいよ里山の春がやってくる。

楽しみだなあ。


里山倶楽部四国編 

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