冬の里山 眉山  2019年12月29日  
里山倶楽部四国編 

― 地蔵院から眉山周回 ―

夫婦二人だけの年末は暇だ。

正月の準備はもう終わった。

食材の買い物は明日にして、今日も近くを歩くことにする。

春の桜の時期に歩いた地蔵院からの眉山の周回路に向かう。



地蔵院の駐車場には、朝早くからお年寄りが集まって、楽しそうに話し合っている。



まずは地蔵院の地蔵菩薩にお参り。

地蔵院は歴代徳島藩主の奥方の安産祈願所で、古くから「安産のお地蔵さん」と呼ばれている。



安産祈願やお礼のよだれ掛けや絵馬が奉納されている。



眉山山麓は古墳が多い。

穴不動古墳は飛鳥時代の豪族の墓らしい。

地蔵院からホンの少し車道を行くと遍路道入り口。



少し歩くと上八万と八万への分岐の地蔵尊がある。

左の八万方向へと登る。



かなり荒れた沢沿いの道を登ると車道に飛び出る。



車道を少し歩くとまた遍路道入り口。

此処からは整備された道となる。



地蔵峠のお地蔵さん。



地蔵越からは眉山縦走路を行く。

ロープの張られた急坂を登って行く。



急坂を登りきると快適な道となる。

テイカカズラの綿毛が飛んでいる。

冬が来たなあと実感する。



樫の大木を過ぎる。

足元には落ち葉がビッシリ。

四等三角点「長谷」234.2m



眉山最高点290mで一休みして、また縦走路を進む。



金山彦神社と四等三角点「三谷」282.9m



ヤブツバキが早くも満開。



木漏れ日の気持ちの良い縦走路を出て車道を進む。



途中から山道へ。

かんぽの宿はもう営業停止されていた。

今後どうなるのだろうか。

このまま放置されて巨大な廃墟となるのだろうか。

勘弁してほしいなあ。



のんびりと広場を散策。



目の前に日峰山が見える。

その前には勝浦川と園瀬川。



まずは剣山神社にお参り。

すっかり正月の準備ができていた。

茅の輪を回ってからお参りする。



展望台は子供連れで賑わっている。

ロープウェイが上がってきた。



眼下に城山と吉野川。

淡路島も霞んではいるが見えている。



パコダ前の一等三角点「眉山」276.6m



板野方向の見えるベンチで昼食。

子供達がにぎやかに遊んでいる。



昼食後、車道を帰る。

早く目覚めたタチツボスミレや咲き残りのツワブキ。



何故かセンニンソウの花があちこちに咲いている。

来た道を帰ろうかと思ったが、昔庄町に住んでいた時に散歩した西部公園への道を下る。



拓魂碑

昭和十二年より世界大戦と化した昭和十九年に至る間

当時日本の国策に添い県内各地より要請をうけた弱冠十四才より十九才の少年たちが満蒙開拓建設の 要

務を託されて満蒙開拓義勇軍として彼の地に使ひし 自ら北辺の防人と信じ猛暑を凌ぎ 酷寒に耐え

病魔と戦い 櫛風沐雨 常に身を危険に曝しながら ひたすら祖国の勝利を念じ日本政府の期待と民族

の信頼を一身にうけ苦難の奮闘を続けた

しかれども戦い遂いに利あらず異国の地で悲運のうちに散華した開拓の戦士である

開拓団として満州に行っていたが、ロシアに攻められて死亡した若人達の碑。



こんな所に眉山大権現の祠がある。



長い車道を下って西部公園へ。

第一次大戦で俘虜となった二人のドイツ兵の墓がある。

板東俘虜所の兵士だろうか。

こんな所にあるのを知らなかった。

中国青島で俘虜となりこの地の病院で亡くなったそうだ。

現在でも慰霊祭が開かれて第九が歌われるそうだ。



東屋で一休み。

名水も今では飲水としては不可と書いてある。



西部公園から地蔵院に向かうと雷の神を祀る賀茂神社が有った。



寄ってみようかと思ったが階段が急なのでパス。

その後、舗装路を延々と歩き地蔵院へ。

地蔵池では沢山の鴨が泳いでいた。





総歩行距離 11.6km

累計標高差 ±525m

総行動時間 5時間22分


里山倶楽部四国

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