春の里山 稼勢(かせ)山 2014/03/14
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 おひな様の奥座敷 坂本から ぐるっと横瀬冨士(稼勢山) -

先日、坂本から慈眼寺まで歩いた時、途中に稼勢(かせ)山への分岐があった。

稼勢山は横瀬富士とも言われていて、特に横瀬橋から見た姿が端正で素晴らしい。

ちなみに徳島には阿波富士と呼ばれるお高越山を始めとして中津富士(中津山)などの10の富士がある。



横瀬橋から見た稼勢山

先日と同じく坂本八幡神社の下に駐車して歩き始める。

10時56分

散髪屋の前の標識から右にコンクリート道を上る。



坂本の家並みを下に見て進むと慈眼寺への遍路道への分岐に着く。



かせ山トレッキングコースの標識を見て舗装路を左へと進む。

旧の坂本トンネルの上をまたいでいるようだ。



途中から旧道に入るが直ぐにもとの林道に出る。

この辺で新坂本トンネルの上を通過



林道が尾根を挟んで二股となっているがどちらを通っても良いようだ。

左へと進む。



尾根の上には新旧の祠がある。



キウイが供えられた6地蔵がある。



眼下に坂本の町並みが見える。

此処は坂本地区の墓地となっているようだ。

森本家などの大きなお墓が沢山有る。



杉の落ち葉が深く積もっているコンクリート道を登って行く。

傾斜は緩く楽ちんだ。

この辺には化石が多いらしいが見つけることは出来なかった。



九十九折りのコンクリート道を貫いて山道が真っ直ぐ延びている。

山道の両側には大きなお墓が並んでいる。

昔はこの辺りに集落があったようだ。

更に古い墓石が彼方此方に横倒しになっている。

無縁仏になっているのかもしれない。



古い石仏や六地蔵が祀られている。

新しいシキビが供えられている。



椎茸の榾木が積まれた小屋があるがもう住んでいないようだ。

昔はミカン畑だったのだろうか。

石垣が積まれているが、杉の木が植えられてから可成りの月日が経っている。

坂本のお婆ちゃんが稼勢山は昔はミカンの山だったと言っていたが、昭和51年に集落が消えるまでは賑やかだったのだろう。



可成り太くてリアルなへびかずら



鹿やイノシシ除けの古いネットが張り巡らされている。

林道が左へとトラバースするところに赤く「区有林」と書かれた札がある。



ピンクのテープも付いていて此処が登山口のようだ。

11時39分 山道を登り始める。

今までと打って変わって厳しい登りだ。



濡れた落ち葉が滑って木に捉まりながら登るところもある。

下りに使うと滑りそう。



登り切って尾根に乗る。

快適な尾根道が続いている。



右下から上がってきている山道があるが福川からの道だろう。

緩やかな尾根道をピークに向かって進む。



ピークではアセビが満開だった。



少し下って直ぐに登り返す。

稼勢山530mの頂上に着いた。

12時18分

登山口から約40分かかった。



山頂には観音様が祀られている。

ネットの記録などでは少しは見晴らしがあると書かれているが、360度雑木が育っていて見晴らしは無い。



東へと少し進むと石積みの中に古い祠がある。



立派な石垣の中は石が敷かれた広場になっている。

此処は旧蛭子(えびす)神社跡のようだ。

蛭子神社の祠はがっしりとした岩屋に納まり、祭りの庭も備えていて、古くから祀られていたようだ。

坂本の伝説によると、昔は立派な蛭子神社が祀られていて山腹の集落の人が祀っていたそうだ。

ある年雨が降らず干天が続いたので雨乞いをした(豪雨が降り止まないので祈ったとも言われている)。

しかしいっこうに雨が降らないので山から降ろし、「頼りがいのない神よ、去りたまえ。」と勝浦川に流してしまった。

神像は川を流れ下って徳島の丈六に流れ着いた。

心ある人に拾われ、徳島の通町のえびす神社(おいべっさん)に祀られたところ、商売繁盛の神として大いに霊験があった。

これを聞いて再び元の稼勢山に戻された。

 「えびすさん」は多くは商売の神として祀られている。

それを稼勢集落の人は雨乞いをしたのだから効き目がなかった、ということらしい。

稼勢山の山麓、三渓に鹿背山神社がある。この山は元は鹿背山と表示されていたのではないだろうか。

稼勢山は「稼ぐ勢いを得る山」の意味であり、商売の神(えびすさん)を祀ってから山の名を稼勢山としたのだろう。

過疎化が進み、昭和51年 坂本八幡宮境内に降ろされた。

今朝も前を通ったが坂本八幡神社の中には沢山の神殿が有り、蛭子神社が有ることには気が付かなかった。




帰って先日の写真を調べるとかろうじて写っていました。

石垣に半分隠れていますが、小さくて新しい社殿が坂本蛭子神社です。

昭和51年に稼勢山山頂から遷座されてから約40年振りに社殿が改築され、

2011年7月10日(日)に「本殿遷座祭・恒例祭」が行われ、五穀豊穣や商売繁盛の願をかけたそうです。

また後日キチンと撮影してきます。



石の広場の西側に山道が下りている。

四等三角点「稼勢」400.6mを経由して南の勝浦川まで下りている道だろう。

石積みに腰を掛けて昼食。

先ほどまで暖かかったが急に冷えてきた。

食後のコーーを飲んで早々に下山する。



少し下ると「ふれあいの里帰路」の標識があるがそのまま真っ直ぐ進む。

此処で曲がってしまうと大変な忘れ物をすることになる。



可成りの急坂をロープにつかまったりしながら気をつけて下る。

下りきると稼勢峠(お大師さんの峠)に出る。

「旧えびす神社跡」→の標識がある。



二本の古木の根元に石積みが有り日天子真言百万遍、南無阿弥陀仏と書いた石碑(元治元年)が立っている。

一本の木はもう枯れているが、ウラジオガシ(幹回り4m50㎝)の古木はその存在感を示すように枝をはっている。

元治元年(1864年)と言えば幕末で池田屋騒動があった年だ。



岩屋の中にはお大師さん(1841年建立)と不動明王そして庚申塔が祀られている。

1841年(天保12年)はジョン万次郎が遭難して捕鯨船に助けられた年で有り、水野忠邦が天保の改革を発令した年でもある。

此処でも新しいシキビが供えられている。

此処から左へと下ると畜産場の有る登山口に下りることが出来る。



峠を挟んで東側の急坂を登る。

微かに踏み跡が残っている。



小さな赤テープを確認して進む。

龍のようなアセビの樹がある。



三等三角点「坂本」501.4mがあり鳴門岳友会の「稼勢山」の山頂標識がある。

稼勢山は横瀬から見ると綺麗な三角錐に見えるが、実は双耳峰で二つのピークがある。

どちらが本当の山頂かは?だ。



坂本から見た稼勢山

山頂から更に東へと薄い踏み跡を辿って下って行く。



林道に出て東へとドンドン行くと、発電所のある登山口へと林道が続いている。

発電所の登山口から坂本の駐車地点に帰るのは遠いので、途中から左の林道へと曲がる。

この林道は地図では途中で途切れているが山道が与川内の方に下りている。

所がしばらく行くと道が崩れ久しく車が通った気配も無い。

更に下って行くと完全に道が崩壊している。

諦めて元のお大師さんの峠まで引き返す。



峠からトラバース気味の山道を下っていく。



途中見晴らしの良いところが有り坂本の村落や六郎山の風車が見える。

更に右奥には中津峰山の電波塔も見えている。



歩きやすいトラバース道を下って行くとピンクテープが有り山道が交わる。

えびす神社跡から少し下ったところから左に下る道があったが此処に出てくるのだろう。



石積み(炭焼き窯跡?)が有り更に下ると立派な橋がある。

H24.5に設置されたようだ。



滝があり水音が響いている。

朝の登山口に到着。



古いミカン畑の中を下って行く。



途中から林道を離れて山道に入ったりする。



もうすぐ新坂本トンネルの上に来る辺りに林道が右に下りている。

新坂本トンネル手前に下りているのかなと下りていくと山菜園の看板。



フキノトウが一杯顔を出している。

ドンドン下って行くと大粒の雨が降り出した。

オマケに道が行き止まってしまった。

無理矢理下れば何とかなりそうだが諦めて元の林道まで登り返す。



朝来た道を引き返し坂本八坂神社下の駐車場まで帰ってくる。

15時15分。

事前にわかっていたら八幡神社のえびす様にお詣りしたのになあ。



帰りに前松堂(ぜんしょうどう)さんところの河津桜と彼岸桜を見に行く。

河津桜は満開だった。

雨が降っていて少し暗いのが残念。



お店の前のエドヒガンの古木は丁度6部咲き位。



エドヒガンの古木独特の優しいピンクが綺麗だ。



先日、坂本の森本家で頂いたお接待券でういろとお茶のご接待を受ける。

ういろは小豆が入っていて上品な甘さが疲れた体に優しい。

前松堂さんでは、お接待券が無しでも、桜を褒めるとお菓子とお茶を接待してくれるかも?

それでエドヒガンは接待桜とも呼ばれているとか?

有名なかりんとうまんじゅうは売り切れ

お土産に栗ういろを購入して帰宅。







総歩行距離 8.9㎞

累計標高差 ±590m

総歩行数 17,600歩


里山倶楽部四国編 

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