春の里山 気延山 日枝神社 白鳥宮   2014/05/18
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-  尼寺古墳をもう一度 -


今日は家内の実家で用事があり昼過ぎまで出かけていた。

昼食後のんびりしていると家内が昨日尼寺古墳で見つけることが出来なかった祠を見に行こうと言い出した。

どうせなら昨日行かなかった日枝神社や白鳥宮にも行ってみよう。



資料館に車を停めて出発。

四国電力の変電所を過ぎて左へと山沿いに向かう。

農道の横に日枝神社古墳跡の標識。

この神社も古墳の上にあるようだ。

午後で日が山の裏に回り薄暗い。



立派な青石を敷き詰めた参道の石段を登って行く。

参道脇の石灯籠には安永(1772年~1780年)と彫られている。



狛犬には口が赤、牙や爪は白に彩色されている。



金色に輝く扁額が掛かっている。

日枝(ひえ)神社は山王信仰に基づき比叡山麓「日吉(旧ひえ)大社」より勧請を受けた神社の社号であるらしい。(wikipedia)

日枝の山(ひえのやま)とは比叡山のこと。

徳島では助任本町にある日枝神社が有名。

此処の祭神は 猿田彦命

猿田彦命は道開きの神様

道迷いをしないようにお参りをする。

剣山の枝折神社も猿田彦命を祀り、道迷いにご利益があるそうだが、「枝」が道しるべの意味を持っているのだろうか。

それとも日吉大社の神の使いが猿とされていることから猿田彦命を祀るようになったのかもしれない。



古くて原形をとどめていない狛犬が沢山残されている。



本殿の横には愛宕神社が合祀されている。



本殿の裏に回ると祠が二祀られている。

この下は古墳のようだ。



珍しい木の灯籠がある。



本殿の左には稲荷社も合祀されている。

内谷村 氏子と彫られている。



日枝神社から尼寺古墳跡に向かう。

正面に見える尼寺古墳跡のある丘そのものが前方後円墳の古墳のように見える。



昨日は三角点と鉄塔のある右の丘を探したが今日は左の丘を探す予定。

尼寺分校は趣があるなあ。



尼寺古墳群の標識から登ってすぐに左へと進む。

有りました。

立派な石積みだ。

このあたりの祠は、特徴として、古墳から出土したと思われる緑泥片岩を利用している祠が多い。

清成のように横穴式墳墓をそのまま利用したものかも知れない。

山の神様の大山祇命を祀っているのだろう。



石積みの奥は大きな岩の壁のようでやはり古墳の石室のように思える。

行者のような像が祀ってある。



周りには掘られたような跡が沢山有る。

石垣を築いた掘り割りのような所もある。



裏に回ると広場があって一段高い所に社があった。

城跡のように見える。

やはり阿波国一の城、海城(あまぎ)が有ったのかも知れない。

海城は、山城のような急峻な山ではなく、岡のような平山につくられたようです。

海とは少し離れてはいるが、気延山の東端にあり海を見張るには都合の良い立地と言えるのかも。



引き返して石積みのあるピークに行く。

やはり此所は大きな古墳の墳丘のように思える。



石積みの下には四角に掘られた穴が何カ所かある。

古墳を発掘した跡だろうか?



馬頭観音が祀られていた。



丘を下りて石井町の白鳥宮に向かう。

古い農家の並ぶ農道を進むと太子堂があり青石の板碑が祀られている。

このあたりは伊勢の能褒野で亡くなった日本武尊が白鳥になってやって来た所として地名が白鳥となっている。



新しい団地の横を通り抜けると立派な石の鳥居があり青石に日本武尊両国一社と彫られている。

両国とは阿波と讃岐のことで讃岐の白鳥神社の元社が此所の白鳥宮だとのこと。

つまりこの神社で白鳥となった日本武尊を祀っていると言うことだろうか。

しかし、規模や社格は讃岐の白鳥神社がずっと上に思える。

この鳥居は大正8年に寄進されている。

文化6年(1806年)建立の鳥居から石段となる。



長い階段は青石では無くてそう古い物では無い。

すぐ上の右に公園跡がある。

石段の右に二列の石の滑り台が併設されている。

天明6年(1786年)と彫られた灯籠が倒れている。



石段を登り切ると広い参道となる。

ムクロジ群生地だとの標識があるがどの木がムクロジかは解らない。

ムクロジの実が羽根突きの黒い玉に使われるそうだ。



立派な拝殿だ。



どういうわけか狛犬が古くて傷んでいる。

壊れたのを修理しているようだ。

このように立派な神社なのに狛犬を寄進する人が居ないのかな?



明治に合社したとの碑がある。



それにしても古い狛犬が沢山残っている物だ。



此所にも地神塔



拝殿にお参りする。

年中行事の案内板があるが随分と多い。



気味の悪い面が飾られている。



色々な絵が奉納されている。

日本武尊かな。



海から白鳥が飛んでくる絵画も掛かっている。



境内からは石井の町を見渡すことができる。

本殿も立派だ。



たくさんの末社が祀られている。



本殿の脇には鶴と亀が透かし彫りされている。



龍の彫り物も見事だ。



大正13年の皇太子殿下(のちの昭和天皇)の御成婚記念碑から山道に入っていく。

よく踏まれたゆるやかな道を登って行くと昨日歩いた鳥坂城址からの道に交わる。

左へ降りて帰ろうかと思ったが、家内は右へとドンドン登っていく。



鉄塔を過ぎて山桜の大樹を過ぎてどんどん登っていく。



赤白鉄塔で一息入れて石井と国府の景色を楽しむ。



気延山山頂を通過してまた下っていく。



お花畑展望所で一休み。

夕日に照らされた国府の町は太古の時を忍ばせるように長閑だった。


夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯

(倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隱れる 倭しうるはし)

大和武尊が亡くなる前に故郷を偲んで歌ったとされるこの歌が、この景色にはピッタリに思える。


のんびりと散策路を下り、子どもたちが遊ぶ資料館駐車場に到着。

数時間だったが気持ちのよい散策ができた。

気延山の周辺はほんとうに不思議なところだ。

実は、白鳥宮の直ぐ南西の山裾の矢倉姫神社古墳跡には矢倉姫神社があるそうだ。

また不思議?

注:古代史等に関する記載は私の個人的感想であり史実に基づいたものではありません。

里山倶楽部四国編 

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