春の里山 気延山 春爛漫    2015/03/31
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 桜花盛りの気延山周回 -

今日も良い天気の予報。

この二~三日の暖かさで、桜の開花が一気に進んだようだ。

以前から気になっていた気延山に咲く山桜を見てみたいと思う。

どうせなら前山公園まで回って満開のソメイヨシノも見てみたい。



考古資料館に車を停めて出発。

9時丁度。

農家の向こうには桜が満開。



八倉比売神社に向かう。

この神社の地神塔は極普通の形をしている。

天照大神は規則通り北を向いている。



箭執神社(やとりじんじゃ)に立ち寄る。

天石門別神(あめのいわとわけのかみ)を祀ってある。

遺跡公園への道に出ると桜が満開



まだ若い桜だが見事に咲いている。



枝垂れ桜も丁度見頃だ。



宮谷古墳の桜も8分咲きくらいだが古墳によく似合う。



緑色に見える桜はウコン桜だろうか?



松熊神社を過ぎるとヤマザクラが見事に咲いている。

この繊細な美しさが好きだ。



八倉比売神社に向かうと階段脇にはナガバノタチツボスミレが咲いている。

女性が階段を掃き清めていた。

気延山周辺では竹箒があちこちに置かれていて皆さんが掃除をされている。

おかげで遊歩道が綺麗で気持ちが良い。



桜の咲き誇る八倉比売神社の境内に着く。

安永二年三月(一七七三)の古文書に「気延山々頂よ り移遷、杉尾山に鎮座してより二千百五年を経ぬ」の記録がある。

古文書には、天照大神の葬儀執行の詳細な記録が残っており祀られているのは天照大神と言われている。

(この古墳の主は天照大神と言うことかな)

昔はこのの古墳のある杉尾山自体が御神体としてあがめられていたそうだ。

立派な本殿は江戸時代に造営されている。



狛犬も桜が咲いて嬉しそうだ。

稲荷社の横から祭壇に向かう。



稲荷社の横にもヤマザクラがある。

珍しい珠を手に乗せた狛犬も元気だ。



古墳の上にある五角形の祭壇にお参り

青石の祠に、砂岩の鶴石亀石を 組み合せた「つるぎ石」が立ち、永遠の生命を象徴している。



誰が供えたのか鮮やかな彩りの小石がある。

また神社まで戻り気延山山頂に向かう。



お年寄りが大勢山歩きを楽しんでいる。

少しばかり頑張って気延山山頂着

9時55分。



山頂のヤマザクラは丁度満開。



山頂から地蔵越に向かう。

日当たりの良い稜線の道にはナガバノタチツボスミレが沢山咲いている。



フイリタチツボスミレも多い。

ヒサカキの花が咲いて独特の匂いが漂っている。



いくつも鉄塔を越えていく。

鉄塔はピークの上に立っているのでいくつもピークを超えなければならない。



シハイスミレとタチツボスミレかな。



ヤブツバキも満開



稜線にはヤマザクラの大木が多い。

ヤマザクラはなかなか見頃に出会う頃はできないが今日のヤマザクラは素晴らしい。

その繊細な美しさはソメイヨシノとは違った魅力がある。



赤白鉄塔を過ぎると地蔵越につく。

11時6分。



地蔵越の枝垂れ桜は丁度見頃。

真っ赤なカエデ?とのコラボレーションが綺麗だ。



ここから前山公園に降りていこうと予定していたが、姉妹の女性から童学寺越から降りると桜が綺麗と教えられる。



それではと童学寺越に向かう。

途中前山古墳に立ち寄る。

前山古墳は3世紀末~4世紀初頭に作られた2基の前方後円墳からなる。

スズタケをくぐって見に行くと石棺のあったところは掘り返されたまま放置されていた。



貴重な古墳だそうだがなあ。

何気なく急坂を登って行くと変なタワーの広場についた。

此処は来た覚えがない。

おかしいなあ。



鮮やかなブルーのタツナミソウとモチツツジが咲いていた。



そのまま行くと下りとなり産廃工場が見えてきた。

このまま行くと神山側に降りてしまう。

慌てて引き返す。

電力標識から右に曲がるのが正解だった。



どんどん行くと鉄塔に出て見晴らしが良い。

童学寺の境内の桜も満開だ。



シハイスミレが多くなる。

ふと見上げると今年はじめてのミツバツツジを発見。



童学寺越えに到着。

12時21分。

地蔵越から随分とかかってしまった。



近道の竹林を降りて行くがよく整備されている。



曲突越からの道と交わる。



そのまま下ると車道に出る。

この道は旧童学寺トンネルへの車道だと思う。

トンネルはどうなっているかと右へと進むと行き止まりとなっていた。



旧童学寺トンネルはコンクリートで塞がれていた。

レンガ造りのトンネルで童学寺越隧道と書いてある。

大正二年に手掘りで作られたようだ。

平成16年に閉鎖されたとのことだ。

このトンネルは山越え道しかなかった石井、神山両町間の交通を一変させた。

2001年の新童学寺トンネル完成まで、このトンネルは約九十年近く、両町をつなぐ動脈であり続けてきたという。



今はもう車が走っていない車道を下ると先ほどの女性の言った通り素晴らしいヤマザクラの並木が続く。



丁度見頃で赤い葉と細かな花のバランスがとても良い。



遠くの山肌もヤマザクラのやわらかな薄いピンク色が目立つ。



沢山のテングチョウが飛び交って生殖活動を行っている。

これらの越冬チョウは、生殖活動を行って子孫を残し、天国へ旅立つ。



こんなに沢山のヤマザクラを見ることができたのは久しぶり。



次にいつ見えるかわからないので目に焼き付けておく。



バクチノキの群生地との標識があるがバクチノキはこの一本しか見当たらない。

黄赤色の幹肌が異様だ。

名の由来は、これをバクチに負けて衣を剥がれるのにたとえたものらしい。



下って行くと濃いピンクの桜が多くなる。

最近植えられたらしい。



この近辺ではウォーキングなどが活発に行われているようだ。



前山公園に来ると丁度ソメイヨシノが満開。

13時12分着



桜の季節に来たのは初めてだが、桜が咲いていると雰囲気が思い切り異なり華やかだ。

たくさんの家族連れが桜の花を楽しんでいる。



桜を見ながら遅い昼食。



昼食後、農業大学校跡地の桜並木に向かう。

この近くに阿波国造墓碑のある中王子神社があるはずだ。

山裾に桜が見えたので立ち寄ってみる。

桜の木の下に例の地神塔が。

なんと亀さんの上に地神塔が乗っている。

亀趺碑(きふひ)と言われているものらしい。

同じものをこの少し北の畑の中で見たことがある。



その奥に高人神社がある。

この神社はネットで調べてもその由来などわからない。

中王子神社は知らないうちに通りすぎたようだ。



高人神社のすぐ東の坂の上に八倉姫神社がある。



八倉姫神社とは?

八倉比売神社との関係は?



しかしなかなか立派な神社だ。

境内の桜が美しい。



拝殿も綺麗に掃除されている。

立派な社務所があるが今は宮司さんなどは住んでいないようだ。



本殿の左には祠が2つ祀られている。



帰ろうとして石段を降りると下にも矢倉姫神社の扁額のかかった鳥居がある。

昭和6年に古墳の石棺が見つかったそうだ。



祠には鏡が祀られている。



小さな境内には青石の石棺が3つ並んでいる。



こんなところにもテングチョウ。



明治21年の馬頭観音の石碑があった。

特別養護老人ホームの跡地に桜が満開。



山沿いに進むと変わった山門がある。

竜宮門形式で上層が鐘楼になっている

安楽寺や十楽寺と同じ形式だ。

紐を引くと鐘が大きく響いた。

このお寺は東王山森本院で天堂さんと言われて桜の名所らしい。

鶏羅殿の扁額は、歓喜天の住むと言われている、ヒマラヤ山脈のカイラス山(鶏羅山)から来た名前だろう。



恐れ多いと言われている歓喜天が祀られているらしい。

白い沈丁花が満開。

コショウノキではないと思うが。



真言宗醍醐派のお寺らしい。



天堂さんの桜として有名?な枝垂れ桜



初めて見る花が沢山咲いていた。

大きな青石をくりぬいた手水鉢



元は立江町にあったらしくてその関係か、多くの県南の人達が寄進している。



修験道のお寺らしくて護摩供養も行われているようだ。



境内は広くて桜が見事た。

しかしなにか雰囲気が怖い。

やはりすごい霊力を持つ歓喜天を祀っているからだろうか。

歓喜天は霊験あらたかで、一心に祈れば必ず何らかの形で、奇跡的な救いの手が差し伸べられると言われている。

ただ同時に、ひどく畏れ多い存在でもあり、いいかげんに信仰すると、バチが当たるとも言われている。



桜は見事だなあ。



すぐ近くには東王子神社がある。

此処の枝垂れ桜も見事だ。



境内にも沢山の枝垂れ桜がある。



石井町には3つの王子神社があり「品陀真若王」(応神天皇の義父)の三比売(応神天皇の妻)を祀ってあるとも言われている。

この東王子神社には高岐入日売(たかぎのいりひめのみこと)が祀られている。

他には中日売命(なかつひめのみこと)を祀る中王子神社と弟日売命(おとひめのみこと)を祀る(西)王子神社

海人族のニオイの濃い地域のようだ。

何故か習字が飾られている。



祠と本殿



溜池の反対側から東王子神社


農大の近くにあるこの辺に密集する神社やお寺は雰囲気が少し変わっている。

国府が阿波の中心として栄えた少し前にこの地が阿波の中心であったのかもしれない。

神山の奥から降りてきてこの地で農業を始めた人達が多かったとも言われている。

山の神様信仰も昭和初めまでは残っていたらしい。

また、本来この地は忌部族を祖とする粟の国と言われているが、長の国の海人族の匂いがするのも不思議だ。

もしかすると長の国の人達が住んでいたところに粟の国の人達がやってきて国譲りがあったのかもしれない。

(徳島市から鳴門市や板野郡なども長の国であったと言われている。)

粟の国の首都は神山で、長の国の首都は佐那河内だと言われているが、地形的に近すぎる。

神山の鮎喰川下流の一宮と佐那河内の園瀬川下流の上八万などは境となる山とかもない。

到底、異なった国とは思えない。

佐那河内から園勢川を下った上八万から八万までの園瀬川文化圏と鮎喰川下流の国府や名東の鮎喰川文化圏

そして気延山の山麓に広がる石井などの気延山文化圏から吉野川下流域までもが長の国であったのではないだろうか。

特に弥生時代の稲作文化は鮎喰川下流域そして飯尾川下流域で発展したと思われる。

粟作≒粟の国 稲作≒長の国と言って良いのかもしれない。

粟の国は、飯尾川上流の麻植文化圏までだったと思える。

その後、忌部一族が麻の栽培のために渡ってきたことから粟国の勢力が増して

西の山岳地帯や吉野川上流地帯から石井町、国府町まで伸びてきたのではないだろうか。

その結果、粟国が勢力を伸ばし大化の改新(六四五年)後に県下が粟の国に統一されたのではないだろうか。

神山は元々粟国と長国の中心にあり両国を統一する神様の住む場所とされていたのではないだろうか。

神山の隣の佐那河内は長の国だったということだが、大川原高原に向けて少し登ると神山からの道と一緒になる。

天岩戸別(あまのいわとわけ)神社もあり、神山との境は歩いただけではよく解らない。

佐那河内にも天照大神を祀る天一神社がある。

神山神領の上一宮大粟神社に祀られているオオゲツヒメは古代より徳島県の神様だったと言われている。

日本の穀物の神様だが、古事記に「粟の国は大宜都比売命という」と書かれている。

そのため粟国だけの神様だと思われがちだ。

しかし、稲や大豆などの五穀の神様であり粟国、長国という場合の粟国だけの神様ではない。

古事記は大化の改新(645年)の後712年に書かれているので、その時には粟国と長国とは統一されて粟の国となっていた。

つまり粟の国(阿波)全体の神様なのだと思う。

*古事記の編成された翌年713年に元明の命により地名を二字で表記するため粟は「阿波」に変更された

何故粟が阿波?

阿波の名は海国(あわこく)から来ているとの説もある。

つまり海人の国(あまのくに)ということかな?


なんて決して解ることのない昔のことに思いを馳せることも里山歩きの楽しみだ。



しばらく歩くと農大跡の桜並木



さすが有名な桜並木だけあって見事だ。



つばき園に向けて登っていく。



大きな椿が多い。



低い山だと言ってもさすが疲れてきた。

気延山まで頑張って登る。



頂上手前から内ノ御田方向に降りて途中から左へと行く。

内ノ御田への道は通れなくなっているようだ。



花園でベンチに座って休憩。



資料館に帰ってくると16時22分になっていた。

7時間余りずいぶんと歩いたものだ。

今日は気延山のヤマザクラと石井町の神社やお寺の桜を楽しむことができた。

もう少しすると神山などの桜が見頃となるだろう。



里山倶楽部四国編 

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