冬の里山 太龍寺山  2015/1/27
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 かも道から太龍寺山そして太龍寺道周回 -

昨夜は、仕事関係の資料をまとめるのに夜遅くまで掛かってしまった。

朝起きるともう9時過ぎとなっている。

これで遠くに行くことは出来ないが、最近運動不足なので近くの山に行くことにする。

何処に行こうかと迷うが、去年から気になっている太龍寺旧参拝道かも道を歩くことにする。



かも道は、一宿寺(加茂町)から太龍寺へ通じる約4.4kmの旧の遍路道。

鶴林寺参拝道とともに南北朝時代の丁石が残っていることで有名。

国史指定を受けている。



持井橋を渡りお松大権現を過ぎて、去年の台風11号の大雨で浸水して有名となった加茂谷中学校を左に見て進む。

渓谷を蛇行してきた那賀川に、加茂谷川が合流する所が加茂だ。

(加茂谷橋を渡った方が近かったかもしれない。)

このように小さな川(支流)が大きな川に合流する所では大きな川の水位が上がると支流に水が逆流して溢れる。

私たちの住む上八万地区も同じように、園瀬川に星河内谷川が流れ込む所が毎回浸水していた。

去年、樋門とポンプ場が出来たので、浸水は少なくなった。

この加茂谷川にも樋門とポンプ場が必要なのかもしれない。

徳島には、三加茂や加茂野、加茂名等、加茂の名が付くところが多い。

(鴨島も)

京都の鴨(賀茂)族との関わりが深いのだろうか?

(三野町加茂野宮は京都の下賀茂神社を歓請したことによる)

カモとはカムイであり神を意味するとも言われている。

「カモ」とは、蒲が生えている水辺のことだとも。

川の本流、支流が交わって大扇状地となり、稲作集団等が移住して開けたところでもあるらしい。

加茂谷川を渡り道端の広いところに駐車して、山裾にある一宿寺に向かう。

旧加茂谷村の水井は遙か昔の弥生式時代から古墳時代にかけて全国で唯一の辰砂の採掘地であった。

そして水銀朱は各地の古墳築造時に運び出されていったものと想定され大きな集落があったと思われる。

国府の矢野遺跡などと同様に卑弥呼の時代が忍ばれる。



西加茂の集落は水害を恐れてか山裾の少し高くなったところに連なっている。

赤白鉛筆のような過去の水害の水位計がある。

狭い車道を上がると広い境内には護摩供養の跡が残っていて整地されている。

一宿寺はお薬師さんを祀っているそうだが、修験道の寺でもあるのか?

ネットで調べても良くはわからない。

本堂が新設されているらしいが何処にあるのか良くわからなかった。



境内手前に丁石が並べられている。

南北朝時代の丁石らしいが、上部の二本の帯と三角形の帽子が特徴のようだ。



ここから太龍寺まで4.8キロの標識。

2時間ぐらいで歩けるかな?

10時44分出発

標高は38m位

太龍寺は標高500m位

太龍寺山は標高618m

標高差から考えると2時間は掛からないとは思うのだが?

しかし、登り初めからかなりの急坂。

道は保存会の方々のおかげでとても良い状態で歩きやすい。



西国33番の観音様の石室が残っているが観音様は一宿寺に集められていてお留守。

かも道が荒れていたときは参拝が大変だったので一宿寺に集められたのかもしれない。

今は道が整備されているので元の石室に返して欲しいなあと思う。



右側が自然林、左側が竹林の道が続く。



結構頑張って歩いてきたと思うのにまだ三八丁の丁石。



イヌシデかな? 大木が残っている。

竹林の右側には綺麗な石垣が続く。

昔は畑だったのかもしれない。



観音様の石室が残っているがやはり主が居なくてはね。



右からの舗装路と出会う。

ここで標高は139m

あと4.4キロとは出発してから0.4㎞しか進んでいないのか?

もっと歩いた気がするが。



綺麗な竹林の中を進む。



網が張ってあるのはタケノコをイノシシから守る為だろうか。



少し歩くと標識があり励みになる。



11時10分 残りは三十三丁

同形式の丁石は11基残っており、貞治(じょうじ)の年号が使われているそうだ。

14世紀、南北朝時代の北朝の年号だとか。

弘法大師の時代から約600年後、東寺の僧長範が太龍寺を再興したとされる嘉保年間からは約400年後になる。

やはり空っぽの石室は寂しい。

と言っても新しい観音様を置くわけにもいかないしなあ。



丁石には、かも道の文字が見える。



道は素晴らしいのに進みが遅いのは私の体力不足か?



水井からの太龍寺道は舗装路と疑似木の階段道ばかりだが、このかも道は自然道がそのまま残っていて素晴らしい。



?の花の蕾が多い。



11時27分 広場に着く。

今まで椅子などは無かったが、此所には切り株の椅子が並んでいる。

ちょっと一休み。

この辺に四等三角点「捩石」370.8mがあるはずだが解らない。



大師像には。「文化乙丑 十一月廾一日 小延村 智海」とある。

文化乙丑は、1805年に当たる。

此所は大理石の採掘跡らしい。

お大師さんがここから鶴林寺まで飛んでいったという伝承が残っている。



古い石灰岩の巨石が残っている。



眼下には那賀川とその向こうに鶴林寺の山



二十八丁の丁石

尖り帽子が南北朝時代の丁石の特徴。



こぶし石

崩れ落ちてきた岩を、大師が拳一つで受け止めましたとか。

それで岩が少し凹んでいるそうだが、おじょも石よりも凹みは小さい。



にじり石

前傾姿勢の岩だが、少しずつ太龍寺に向かって進んで(にじり寄って)いるのだそうだ。

太龍寺までたどり着くと世界が泥沼に沈むとか?



まだ太龍寺までは遠い。

大変だと思っていたら突然道が歩きやすくなる。

標高370mの三角点からは水平道となる。



杉林の道は落ち葉でフカフカ。

快適に歩くことが出来る。



こんな快適な遍路道が残っていることが不思議。

殆ど傾斜の無い快適な道が続く。



この石室跡に観音様がおいでたらなあ。



家内の大好きな天空へと続く尾根道もある。

観音様の代わりに石を祀ってある石室も。



何処までも続く緩やかな道。



やはり太龍寺道のような沢沿いの道では無くて尾根道に沿った道は明るくて歩くのが楽しい。



鶴林寺から太龍寺に向かうのに何故遠回りとなる「かも道」が古くからの遍路道だったのか不思議だった。

今日歩いてみて良くわかった。

陰気な若杉川沿いの道よりも明るくて歩くのが楽しい。



ドンドン飛ばしていたら12時のチャィムが鳴った。



行動食のパンを一個食べて、まだまだ快適に進む。



尾根の左側の道からいつの間にか右側を通るようになる。

この辺に三等三角点「加茂」456.7mがあるはずだがやはり解らない。



太龍寺山のロープウェイの基台が見える。

まだまだ遠いなあ。



ちょっと下り気味に相変わらず快適な道を進む。

後1キロか。



細かくなってあと700m



12時25分 水井からの太龍寺道そして駐車場からの道との合流点に着く。

合流点に道標があり、「左 鶴林寺」 「右 かも道 富岡道」とある。



太龍寺への道標



沢山の石仏や石が祀られている。



杉の大木がある急なセメントの道を登る。

杉は焼山寺と比べると若い。

朽ちた大きな杉の根が残っているのでいつかの時代に古い杉が倒れてその後新しい杉が生えてきたらしい。



石段を太龍寺に向かう。

こんな所に二十七丁の舟形丁石

太龍寺道の丁石は太龍寺に近づくにつれて丁数が増える。



山門をくぐる。



此所の仁王様はいつ見ても不気味だ。



鐘楼門で鐘を突いて進むとミヤマシキミに蕾が一杯。



太龍寺さんに12時37分到着。

出発してから2時間足らず。

まあ予定通りかな。



天女の彫り物はいつ見ても良いなあ。

龍の天井絵は50年前に見たのと変わらない。





雀の雨樋発見。



鶴林寺の三重塔が見えている。

太子堂にお参り。



太子堂の軒壁の彫刻は素晴らしい。



この素晴らしい彫り物をゆっくりと見てよく知った人に解説していただきたいと思う。



多宝塔から本堂に向かう。



太いお線香を購入してお参り。

参拝者が次から次とやってくる。

若い人達も多い。






お寺なのにお社が沢山ある。



ロープエィ駅に下りて舎心ヶ嶽に向かう。



紅梅が咲き始めていて綺麗だ。

文化の森の紅梅ももう咲いているだろうか。



遙か遠くにお大師像が見えて急なセメント道を登る。



急坂はかなり辛い。

やっと舎心ヶ巌に到着。



此所でもお社が多い。



お大師像の後ろ姿が見える。



岩場を登るとお大師さんの前に出る。

ローフウェイ駅が眼下に見える。



大師像の下の岩場に下りると見晴らしが良い。



阿南の町方向がよく見える。



太龍寺山山頂に向かう。

今まで太龍寺には何回か来たが太龍寺山頂上には行っていない。

持福院方向へ行く。

北地へ行くとロープウェイ駅へ下りるのかな。



最近整備された「いわや道」の標識

平等寺までの旧参道のようだ。



お大師像のある道を登っていく。



結構急坂だ。



分岐があり、此所からも平等寺に行くことが出来るようだ。



「是より左 ふだらく山・・・」と思われる。

太龍寺山を「補陀落山」に見立てているようだ。



疲れた足に急坂が厳しい。

ゆっくりと登っていく。



巨木の朽ちた株が沢山残っている。

若い樹と樹齢がかなり差があるが老木が一斉に倒れるような事が起こったのだろうか。

太龍寺から標高差100m。

太龍寺山山頂618mに着く。

13時55分



此所にも砥部テックの山頂標識がある。

基石や手水鉢が残っているので昔には神社があったようだ。

石に腰をかけて遅い昼食にする。



目の前に鶴林寺の山が見える。

しばらくのんびりして下山開始。



途中で山さきもりのオブジェに立ち寄る。



すぐ横をロープウェイが通り過ぎていく。



流 政之さんのブロンズ像だそうだ。



また太龍寺に帰る。

14時51分



山の神様にお参りして太龍寺道を帰る。



太龍寺道の参道は三十丁足らずとかも道よりかなり短い。



この道も国指定史跡に指定されているが、四国の道でもあるので疑似木の道が続く。



かも道の丁石とは異なり舟形の石仏丁石が続く。



階段道を一気に下る。



階段道ヶ終わると最終民家跡に出る。

行き倒れの巡礼者の墓が多い。

地図には此所から右に行くと水井町と西加茂の中間辺りに下りる道がある。

駐車地点へは近道だが通ることが出来るのだろうか?



疑似木の道が終わると後は緩やかな舗装路となる。

やはりかも道と比べると味気ない。



かろうじて古い石仏丁石が心を和ませてくれる。



辰砂製造跡の若杉山遺跡を通過。



貴重な遺跡だが放置されているのが寂しい。



舗装路を淡々と下っていく。



水井の分岐まで来る。

15時56分。

鶴林寺への道は左だが加茂へと右に行く。



初めて歩く道だが十八女橋まで一本道なので間違うことは無いだろう。



蛭子神社があり、此所何も地神塔がある。



民家のような神社造りだ。

通行止めの標識があるが徒歩なら大丈夫だろう。



那賀川の流れが美しい。



ヤブコウジやツチグリが多い。



那賀川が大きく曲がるところで大きな地滑りがあり復旧作業中。

3月には修復されるようだ。

堰も壊れている。

やはり11号台風の大水の所為だろうか。

川向こうにある十八女では道路が+2.5m位冠水したらしい。

こんな大きな河が溢れるとはいったいどのくらいの水量だったのだろうか。



かなり疲れた頃十八女橋に着く。



十八女と書いて「さかり」と読むのは高専時代に知った。

女の盛りは十八歳かと非常に印象に残った。

橋の横に尖り岩がある。



青く塗られた船が沢山置かれているが何に使うのだろうか。

16時57分駐車地点に帰り着く。

結構歩いた気がする。

旧参拝路「かも道」は予想以上に良い道だった。

帰って体重を量ると2.5キロほど痩せていた。

この調子で毎日歩ければすぐにもとのの体重に戻るのだが。



総歩行距離 14.1キロ

累計標高差 ±1,056m

総歩行数 30,120歩

里山倶楽部四国編 

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