冬の里山 天ヶ津峰  2022年01月08日  
里山倶楽部四国編 

- 天ヶ津峰 東光院 ―

年始早々歯が痛くなった。

年末から前歯で噛むと痛みがあったが、元旦までは痛み止めを飲んだら治まっていた。

2日早朝に我慢できなくなり、城ノ内高校前の歯科会館で治療を受けた。

しかし、原因が解らず抗生物質と痛み止めだけをくれた。

3日は我慢をして4日に、行きつけの医者に行ったが前歯に縦にヒビが入っていて、バイキンが入ったようだ。

とりあえず穴を開けて神経を取り根管開放治療というのをやってもらった。



そして昨日、穴に薬を詰めてもらい2週間後に経過を見ることとなった。

もしそれでも治らなければ抜歯となる。

前歯の片方は既にインプラントになっている。

もう一本もまたインプラントになるのだろうか。

前歯のインプラントは人工骨を育成してから行うので、30万円と高価の上に時間が半年くらいかかる。

嫌だなあ。

朝起きてもまだ痛みが取れず、食パンも前歯に当ると激痛が走る。

こんな日に家でじっとしているのは気が滅入る。

久しぶりに天ヶ津峰に出かけることにする。



車に乗ると、気温はマイナス1.9度。

自宅でマイナスなのは今年始めて。

御嶽神社から登山開始。



撫養石の露岩の急な坂を上り詰めると奥の院。



色々な神様を祀ってある奥の院の御嶽山蔵王権現にお参りする。



登山道はまだ影だが、天ヶ津峰には朝日があたって輝いている。

真っ赤だったサルトリイバラの実が黄色になっている。



ソヨゴの実がまだ沢山残っている。

実を食べる小鳥が居ないのかな?



採石場跡には毎日何十台ものダンプが残土を運び込んでいる。

いつの間にか、うず高く積まれている。

元あった山の斜面より高く積まれているように見える。



今日は東光院に下りたいので、東尾根から頂上を目指す。

モチツツジが綺麗に咲いている。



東尾根は急登だが、ところどころ見晴らしが良い場所が有る。



吉野川の向こうに大川原高原の稜線が見える。



鉄塔広場で一息入れる。

温かいコーヒーが美味しい。

休憩後更に登ると、大谷川へと降りる分岐が有る。



更に登るとヤギさんの水飲み場と東尾根の分岐。

右へと東尾根を登る。



登り切ると、車道に到着。



コンクリートの擁壁にヤギさん達が休んでいる。



私達の姿を見ると降りてきた。



ゾロゾロと付いてくる。

何時もなら餌をねだるのに、今日はそのまま追い越していった。



お尻の穴が大きくなったとおもったら、ポロポロと糞をした。

歩きながら器用に糞をするのに感心。



天ヶ津峰頂上に着くと若い女性が一人休憩中。



少し離れたベンチでコーヒータイム。



快晴だが、急に暖かくなってきたので霞んでいる。



旧吉野川の河口の海が輝いている。



昼食にはまだ早い。

西の展望所に向かう。

ヤギさん達は頂上まで来ずに下で待っていた。

随分と大人しくなったが、登山者に餌をねだりすぎて、叱られたのだろうか?



西尾根分岐のピークまで登って御猿の墓へ。



お参りしてから東林院に向かう。 



開けたところから、大麻山とその手前に、これから下る尾根が見える。



上り詰めると西の展望所。



せっかくの展望なのに霞んでいる。



高丸山から雲早山の稜線や白く冠雪した剣山と矢筈山も見えるが霞んでいて写真には写らない。

綺麗に並べられた石に座って昼食。

前歯が痛くないようにと柔らかなお握り弁当にしたが、やはり前歯に当たると痛い。

飲み込むようにして食べる。



食後、東林院に向かって下って行く。

ミヤマシキミの蕾が色付いている。



ヤブツバキも咲き始めている。



いくつかアップダウンがあって、水平な道に来るとテーブルマウンテン。



前から何時も登山道を整備されている男性と女性がやってきた。

大谷川からのルートで登ってこられたらしい。



しばらくお話してから先に進むと、三角山の三角点323.8m。



ソヨゴの実だと思うのだが、葉が丸い?



また男性がやってきた。

この道も利用する人は多いのかな。



見晴らしの良いところの椅子で一休み。



大きなヌタ場が2箇所あった。

まだ実がビッシリのソヨゴ。



歩いてきた稜線が一望できる。

左の平らなのがテーブルマウンテンかな?



大谷川ルートとの分岐。

大谷川ルートからなら下山後車道歩きが少ない。

しかし、今日は東光院に寄りたいので直進する。



カクレミノの若木が多い。

まだ若いので葉が割れているのばかり。



道筋にはモチツツジが多い。

中にはきれいに咲いているのも。



助ケ谷への分岐を左へと行く。



直ぐに高速道路脇の階段道に出る。



此処からの階段道は激下り。



ハゼノキの実とオオバヤシャブシ



階段を激下りして車道に出る。

前回は此処から高速道路沿いに真っすぐ行って、また登り返す羽目になった。

高速道路下のガードを潜って進むと大きな寺院が見えてきた。



東林院に着く。

立派な寺院だ。



境内の片隅には、小さな喫茶店「ろうそく夜」が有る。

土曜日は休みと聞いていたが、開店している。

とても感じの良い店らしいのでコーヒーセットでも食べようかと思ったが、「完全予約制」

残念だが仕方がない。また今度予約してから来てみよう。



奈良時代の733年(天平5年)、行基によって開基されたという高野山真言宗の古刹『八葉山 東林院』。

ここは弘法大師が滞在時に自ら米麦の種を蒔いたという故事から『種蒔大師』とも称されており、

その来歴を大切にするお遍路さんが、四国八十八ヶ所霊場の巡礼前に立ち寄る『一番奥之院』としても知られている。




欄干のギボウシにも可愛いエプロン。



この立派な建物は本堂ではなくて「本坊」

愛染明王を祀っている。



平和の火が灯っている。

広島原爆の残り火が引き継がれて灯っているそうだ。



東光院の由緒看板。



「わぎのかいろう」「弥勒菩薩坐像」と書いてあるので入ってみるが、日本庭園が有るだけ。

納経所でお願いすると案内してくれるそうだ。



大師堂が有る。



黒岩神社にも有る徳島毎日新聞の特選10寺院の石標。



種蒔大師さんにお参りする。

弘法大師が自ら種を蒔いて村人に作り方を教えたとか。

大同3年~4年(西暦808~809)頃、弘法大師、四国霊場御開創の為南海道を通り御巡錫の砌り、当地へ

遊化し東林院に御滞在、農業奨励の為、御身自ら鍬を取り、米麦の種を蒔き、又、疫病、旱魃の為には御祈念、

御祈祷ありて其の害を救い給い、又一方、民衆を集めて真言の教えを説き菩堤の善種を蒔き給う。



びんずるさんは学業の神様らしい。

隣の薬師堂が、本堂で本尊の薬師観音像が祀られている。

本堂よりも大師堂が立派のは珍しい。

天平5年、行基菩薩の御作にして、蜂須賀候の帰依厚く祈願寺として喜捨12貫の奉納あり。

また、東林院は古来より学問寺として名高い。

、高野山には
東林院を中心として勃興した学門僧に哲真 維宝 能厳龍剛 快盤などの名僧が居たそうだ。



イボ取り地蔵や六地蔵など多くの石仏が祀られている。

高野山縁の寺なので、コウヤマキが供えられている。



弥勒菩薩坐像



修行大師像



大谷焼の大瓶が奉納されている。



東光院を出ると、神社がある。



大柄な狛犬が出迎えてくれる。



随神門を潜り石段を登ると宇志比古神社が有る。



流石大谷焼の里、大谷焼の灯籠が寄進されている。

スタイルも色も斬新的だ。



宇志比古神社の拝殿。

宇志比古神社は、かつて当地に石清水八幡宮の荘園があったので、八幡神が勧請されたものと考えられている。

天正年間(1573年-1593年)に長宗我部元親の乱入により社殿、古記録、社宝を焼失したが、後に再興された。

江戸時代には八幡宮と称しており、明治になって宇志比古神社と称することとなった。

本殿には一五九九(慶長四)年、一六三五(寛永一二)年、一七〇四(宝永元)年の棟札が残りっている。

本殿は慶長四年に建てられ、寛永一二年と宝永元年に修理されたことがわかる。




本殿は、徳島県内で現存する社殿本殿として最古。

2000年に国の重要文化財に指定されている。

しかし、その特徴の屋根が大きすぎるのか?

傾きかけて応急処置がされている。

雨樋も朽ちて落ちかけている。

国の重要文化財がこのような状態で良いのだろうか。




宇志比古神社を出て直ぐに、左へと山沿いの道があった。

此処を曲がると近いかと思ったが、一旦国道まで出る。

徳銀の大麻支店の手前から、農道へ入って高速道路下まで行く。

山沿いの道からの道と交わった。



高速を潜って大谿川に沿って引き返す。

下山時に標識に書いてあった大谷川登山口はこの辺らしい。



センダンの実が沢山残っている。

センダンの実は、小鳥たちに人気がないようだ。



来週日曜日午前中、不法投棄除去のため通行止めになるらしい。

駐車場奥では山裾が切り開かれている。

何ができるんだろうか?



一周りして駐車場着。

今日は、朝は放射冷却で寒かったが、その後ポカポカ陽気になった。

前回行けなかった東林院にもお参りできて良かった。





総歩行距離 9.4km

累計標高差 ±688m

総行動時間 5時間54分



里山倶楽部四国

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