阿波国・古代祭祀史料の一級品

延久二年の太政官符
――忌部神・天石門別八倉比売神 祭典文書(復元)――

平安時代後期、朝廷から阿波国へ下された一通の公文書(太政官符)。そこには、国家の最重要祭祀をめぐる地方国司の「怠慢」と、それを厳しく咎める中央の強い意志が克明に記録されていました。

対象となっているのは、阿波国を代表する二大社、「忌部神」「天石門別八倉比売神」。郷土歴史家の探求心を刺激する、当時の生々しい地方統治の実態を読み解きます。

1. 史料の基本情報

文書の種類 太政官符(だじょうかんぷ)
朝廷の最高機関である太政官から、地方官(国司)へ下される公式な命令書。
発令年月日 延久二年(1070年)六月二十八日
宛先 阿波国司(阿波國司)
署名者 ・正四位下左中弁兼安藝介 藤原朝臣
・右大史正六位上 紀朝臣
対象の神社 忌部神(いんべのかみ)
天石門別八倉比売神(あまのいわとわけやくらひめのかみ)

2. 史料原文(復元)

【冒頭裏書】「近衛家所蔵古写本 永長元年二月四日乙、 上卿中納言、弁重朝臣、未参之處、所納官、差副官使可事者也、可取惣抄者也。後三條院宣旨歟、トアル所ノ裏書」
太政官符 阿波國司 應國司向神祇官受取二月祈年・六月十二月月次等祭幣物事。 忌部神 天石門別八倉比賣神 (國司祭幣) 右、檢案內、祈年・月次祭者、邦國之大典也。凡祈欲令歲、不起時、合不愆。然則件祭幣、阿波國司一人、或禰宜・祝部等、向神祇官可受取之由、先略後符、誠祠疊。而如聞者、頃怠不受、徒納官庫、空爲塵埃。雖有已奠之名、希似無餉器之実。如在之設、登以可然。論之、物儀尤違例。 左大臣宣、奉勅、宜仰彼國、件幣帛等、附國司、奉奠本社、即取社請文、期會公文者、國宜承知。依宣行之。符到奉行。 正四位下左中弁兼安藝介 藤原朝臣 延久二年六月廿八日 右大史正六位上 紀朝臣
【末尾注記】「按ずるに、此の延久二年六月の官符、故紙を以て、記録の料に新充フルものなり」

3. 現代語訳

【裏書の訳】(永長元年二月四日の記録によれば、上卿である中納言、弁の重朝臣が未参の際、官司に納めるべき件については、副官使を差し向けるべきこと、また総抄(写し)を取るべきことが記されている。これは後三条院の宣旨であろうか、とある箇所の裏書。)
太政官符を阿波国司に下す ――二月の祈年祭、六月と十二月の月次祭などにおける祭幣(神に捧げる布や供物)の受領について。 【対象】 ・忌部神 ・天石門別八倉比売神(※これらに対する国司の祭幣について) 【本文】 これまでの記録を精査するに、祈年祭や月次祭は国家の極めて重要な典礼(邦国の大典)である。そもそも祈年祭は歳穀の豊穣を祈るものであり、時期を違えてはならない。 しかるに、この祭幣について、阿波国司本人、あるいは神社の禰宜(ねぎ)・祝部(はふりべ)らが神祇官へ赴いて受領すべきところを、先例を省略して公文書(符)を交付しなかったため、誠に神社の祭祀が滞ってしまっている。 聞き及ぶところによると、近頃は(国司や関係者が)受領することを怠り、供え物はむなしく官の倉庫に納められたまま埃をかぶっている(徒納官庫、空為塵埃)という。すでに奉納されたという名目はあっても、実質的な供物(餉器の実)がないに等しい。もし神が存在していると考えるならば、適切に供えるべきである。これを議論するに、儀式の本来の形式に著しく違反している。 よって、左大臣の宣旨により、天皇の命(勅)を奉じて命ずる。 かの阿波国に対し、件の幣帛(へいはく)等を国司に託して各神社に奉納(奉奠)させ、直ちに神社側から「請文(受領書)」を取って、期限内に公的な報告書類(公文)として提出させよ。国司はこの旨を承知し、宣旨に従って速やかに実行せよ。本官符が到着しだい、直ちに執行すること。 正四位下左中弁兼安芸介 藤原朝臣 延久二年六月二十八日 右大史正六位上 紀朝臣
【注記の訳】(考えるに、この延久二年六月の官符は、古い紙を用いて記録として新しく充てた(補った)ものである。)

4. 郷土歴史の探求ポイント

この短い一通の官符は、当時の阿波国と中央政権の関係性、そして現代に残る神社の歴史を紐解く上で、極めて重要なヒントを含んでいます。