冬の里山 鶴林寺山    2017.01.02
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- 干支の山 鶴林寺山にお詣り -

今日も良い天気の予報。

干支の山、鶴林寺山に今年二度目の初詣。



勝浦の道の駅に車を止めて出発。

帰りに買い物をしたいと思っていたが、初売りは5日だそうだ。

中津峰山を右に見て進むと正面に高丸山が見える。

少し白く雪があるように見える。



チャンドラポメロやハッサクが美味しそうに実っている。

サンクスでお弁当を購入して出発。

9時2分。



東林庵の薬師如来にお詣りしてから遍路道に向かう。

延暦12年(793)弘法大師が19歳のとき、一草庵であった東林庵に滞在し薬師如来を祀られたそうだ。



銀杏の古木は一度丸裸になっていたが、また枝だが大分出てきた。



農道に入ると六地蔵がお出迎え。



登り始めは可成り急坂。

ご近所の男性がもう下りてきた。

日課のように鶴林寺に参拝している人も多い。



満開の水仙を見て進むと休憩所に着く。



ベンチで一息入れる。

お遍路さんは、此処から鶴林寺にお詣りして大龍寺に向かい平等寺まで行く。

私達は鶴林寺までなので一寸軟弱。



一昔まではミカン畑が広がっていた遍路道を上っていく。



古い道標が現れる。

ミカン貯蔵庫が沢山有るがもう使われていないようだ。



遍路墓と15丁の丁石がある。

一生懸命登ると汗ビッショリになる。



此処にも遍路地蔵。

遍路を続ける最中に亡くなった人を今でも大切に祀っている。

大きな墓があっても、子孫が絶えて祀る人も居なくなり放置された墓も沢山有る。

遍路を続けて古里を離れた所で亡くなっても、ずっと里の人が祀ってくれる。

どちらが幸せなんだろうか。

ベンチを過ぎると一寸変わった階段道となる。



水呑大師に着く。

「世の人に永久に残せし石清水 大師の慈悲を心して飲む」

新しい石碑だと思って良く見ると昭和36年の日付。

もう56年も前に建てられている。

月日の経つのは本当に早い。



私も冷たい水を戴いて、お大師さんの慈悲に感謝する。



古の石段道を進むと仁宇谷との分岐点

仁宇谷と言えば蜂須賀が阿波国入部の際の仁宇谷騒動を思い出す。

小さい方の道標は弘化2年正月13丁と刻まれている。

弘化二年は、アメリカ船マンハッタン号が浦賀に、イギリス船サマラン号が長崎に入港して通商を求めた年だ。



国指定史跡の遍路道を上っていく。



此処には11基の南北朝時代の道標が残っている。

この頭部に二本線があり、尖っている道標が南北朝時代の道標のようだ。



苔むした礫岩の大岩がゴロゴロしている。



此処にも遍路墓がある。



歩きやすい快適な道だ。



九丁、八丁と丁石を過ぎていく。

可成り年配の男性が二人楽しそうに話をしながら下りてきた。

毎日のようにお詣りしているようだ。



見晴らしの良いベンチに、可成り年季の入った菅笠が忘れられていた。

那賀川の流れが緩やかで水量が少ない。



七丁、六丁。



綺麗な石畳の道となると後五丁。



四国遍路諸聖と刻まれた遍路地蔵がある通夜堂跡に着く。



古い井戸も残っていて水が見える。



素晴らしい石畳の道を進むと三丁。



大岩の下に3地蔵。

駐車場に着くと去年建設中だったトイレが出来ている。

ウオッシュレット付きの綺麗なトイレだ。



179度目の参拝記念の石柱が奉納されている。

周防石大嶌郡椋野村中努茂兵衛 と読める 



霊鷲山(りょうじゅさん)の扁額が掛かっている。

標高498メートルの鷲が尾の山頂にあるために、鷲であって鶴ではない。



やっほうじぞうの変種?



苔と古杉が見事だ。



納経所横に一丁の丁石がある。

四国の道の道標も。

10時37分着。



遍路道と四国の道は此処から大龍寺へと向かう。



本堂で、お賽銭をはずんでお詣り。

ご本尊は地蔵菩薩。

大日如来や阿弥陀如来などが多い中で地蔵菩薩がご本尊なのは珍しい。



あうんのお鶴さんが狛犬みたいだ。



本堂横から鶴林寺山山頂に向かう。



宝篋印塔等をお詣りしながら進む。



一寸痛んだ所もあるが快適な道。

鶴林寺山山頂 515.9mに着く。

三等三角点「鶴林寺」516.07mがある。

微妙に鶴林寺山の標高と三角点の高さが違うのが不思議。



三重の塔前で昼食。

1月というのに気温が高くて気持ちが良い。

食後、裏道から降りて行く。



此処の丁石は三町との表記。



お地蔵さんや十町の丁石がある。



ヤブコウジの赤い実が可愛い。



石段などの無い足に優しい緩やかな参道を下る。

此処もいやしのみちと言うのかな。



丹州(丹波)多記郡の女性の遍路墓もある。

転がっている石仏がいくつかある。







石仏が集団で祀られている。



道路工事などでお地蔵さん等が集められたのだろう。



二年前に来た時は階段で下りた所が切り開かれて、新しい道路が建設中。



旧遍路道の新しい看板があるがややこしい。



ぐるっと回ったら先程の建設中の道路に戻ってしまった。

そのまま久国方向に下って行く。



変わったお寺が見えているが行く道が解らない。

円城寺かな。

昔の城跡がお寺になったような感じだ。



暖かな日差しを浴びて農道を下っていく。

この辺は勝浦川の高位段丘となっている。

其の昔、この辺まで海が進出していた名残かな。



ノゲシが沢山咲いている。



去年三番叟を見た久国の農村舞台跡への道に出た。

其の先から勝浦町役場に出て駐車場に帰る。

今日もノンビリと遍路道を歩く事が出来た。

足腰が弱っているので、このような遍路道歩きでも続けて、リハビリと筋力強化を図りたいと思う。





総歩行距離 9.2㎞

累計標高差 ±580m

行動時間 5時間7分




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