冬の里山 鶴林寺山  2021年12月09日  
里山倶楽部四国編 

- 鶴林寺山 ―

今日も良い天気の予報。

昨日は、同級生や先輩とゴルフだった。

家内は欲求不満なので、今日はサービスディ。

例年恒例の鶴林寺さんへお参り。

まずは、よってネ市で箱入りのみかんとお弁当を購入。

最近、勝浦の蜜柑が好評で午後には売れ切れてしまう可能性がある。



生名谷川に沿って参拝道に向かう。

桜が咲き始める春が待ち遠しい。



弘法大師が滞在したという東林庵の大イチョウが朝日に輝いている。

このイチョウは樹勢が弱ったため、一時丸裸にされていたのだが、見事に生き返った。



鶴林寺参拝路入り口に着く。

生名谷川には、マガモの夫婦が今年も元気に遊んでいた。



農家の間を進んで、チョット急な道を登って行く。



開けた所に着くと、みかん畑の向こうに中津峰山と平石山



茅葺き遍路小屋に着く。



振り返ると勝浦の町

昔の蜜柑畑の間を登って行く。



石垣の間を登っていくとお地蔵さんが祀られている。



舗装路脇の階段を登って行く。

急坂に汗が吹き出る。



舗装路が途切れた所に湧き水が出ている。



水飲み対しの前のベンチで一休み。

先ほど購入した蜜柑を食べるとジューシーで甘さが、乾いた口中に広がる。

流石、勝浦の蜜柑は美味しい。



此処から農道が終わって、遍路道となる。

鶴峠からの道と交わる。



セメントで補修された道はまた傷みだしており、少し歩きにくい。

十二丁の丁石。

この丁石は新しい。



トンガリ帽子に二本線の丁石は南北朝時代の丁石。

何故か12丁と11丁の丁石。

お寺の説明には

一丁石から十一丁石までの花崗岩方柱に貞治2年(1362)、応安、永和、明徳の元号が刻入されている

と書かれているので、この12丁の丁石は一体??



礫岩などの大きな堆積岩が転がっている。

家内は元気で、可成り先に登って私を待っている。



9丁



那賀川の流れがよく見える休憩所。



古いままの石段道となる。



石畳の道となると二体の弘法大師像が祀られている。



通夜堂跡の井戸には蓋が被せられていた。



石畳の道は趣がある。



登り切る手前には古い石仏が三体。



駐車道に飛び出る。

数台の車が停まっている。



鶴林寺山門に着く。


第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺(りゅうじゅざん ほうじゅいん かくりんじ)



三重の塔が見えている。



太子堂や不動明王にお詣り。



賓頭盧像(おびんづるさん)の膝を撫でて膝痛が治りますように。



鶴林寺本堂にお参り。



今にも天空に向かって飛び出しそうな鶴



寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781・806)の勅願により、弘法大師によって開創された。

大師がこの山で修行していたとき、

雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。

この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造。

その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。




本堂左奥から鶴林寺山頂に向かう。



電波中継塔を超えて暫く進むと鶴林寺山頂516m。

山頂を踏んだので引き返す。



江戸時代後期、文化14年(1817)着工、文政10年(1827)上棟。

本塔の特徴は勾欄にある。

初重は「擬宝珠」、二重「はね」三重に「逆蓮柱」を用いて固めている。

此の塔の落慶儀式に庭儀曼荼羅供の大法会が執り行なわれたが往時の儀式用具も完備し設計図面も現存。

徳島県下唯一の三重塔として昭和27年県指定重要文化財となる。




三重塔の前のベンチで昼食。

よってネ市で買った散らし寿司。

甘い金時豆が美味しい。

食後、小春日和の陽光の下で飲むコーヒーは美味しい。

至福の時だ。



カエデは散ってるものが多いが、まだきれいに紅葉している木もある。



西暦1900年、279回のお四国参りを達成した中務茂兵衛の石柱。

何故か柵が作られている横から奥の院(慈眼寺)への道を下る。



少し掘れた参道を下ると、福良与兵衛さんの寄進した道標(亨保3年)の石柱がある。

亨保3年は1718年。

大岡越前守が南町奉行として活躍していた頃だ。

福良氏は、阿波細川氏の重臣で、徳島や勝浦に多くの城を持っていた。

この遍路道の途中に安城寺があるが、其処も福良氏の居城があった。

福良与兵衛さんはその福良氏の末裔だろうか。



コシアブラに良く似た淡い黄色の黄葉が美しい樹はタカノツメ。

葉が3出複葉なので、コシアブラと分別できる。

尚、唐辛子のタカノツメとは何の関係もない。



石仏の道標とトンガリ石の道標



農道に飛び出すが、そのまま下って行く。



倒れた石仏の道標



かくりんちへ13町と書かれた丁石。

新しい道標



鹿背山の左奥に高丸山



モミジの下に観音様。



明和3年と刻まれた観音様。



観音様の周りに多くの石仏が祀られている。

この下の林道建設の時出てきた石仏をまとめて移設したのかな。



最近コンクリートで作られた道を降りて、林道に出る。

そのまま急の遍路道に入る。



のどかな旧遍路道を下る。

モチツツジが満開。



鹿背山が美しい。



この参道は「つる道」と言うらしい。



ヤツデの花が咲いている道を下ると大きな墓地の間を通る。



立派な鐘楼は、円城寺。

この鐘楼は12時になると自動で鐘が撞かれる。



円城寺にお参り。

この円城寺は真言宗のお寺。



立派なお寺だが、お参りする人は少ないようだ。



庚申塔もある。



見事な紅葉と地神塔

地味な地神塔と綺羅びやかな紅葉の対比が素晴らしい。



もと福良氏の居城があった辺りには燃えるようなモミジが見事だ。



向こうの山上にあるのは福祉専門学校かな。



農道を下ると徳島銀行の勝浦支店の横に出てきた、

車道を引き返すと新しい勝浦病院の工事が進んでいた。



コガモが遊んでいる。

八幡神社の常夜灯があるが、八幡神社が何処にあるかわからない。



生名谷川の河畔を歩いて駐車場へ。



帰りによってネ市に寄ると、今日も箱入りの蜜柑は完売だった。

朝はあんなに山積みされていたのに。

朝買っていて正解。

それにしても勝浦蜜柑は人気があるなあ。





総歩行距離 9.3km

累計標高差 ±575m

総行動時間 5時間31分





里山倶楽部四国

ホームページにも是非お立ち寄りください