倦怠期 | 1991〜 | いよいよパソコンも特別なものではなく一般的になってきた。 高校でのパソコン導入はすでに完了していたが、小中学校への導入が始まった。 メーカー各社は、OAショールームなるものに力を入れだした。 私の勤務先でもショールームを作り、ワープロ、パソコンの展示をした。 インストラクターはピークで15名もいた。 パソコン教室もかなり出来てきた。 Windows3.1が出て、講習を受けたがぴんとこなかった。 アマチュア無線も、デジタル通信が最盛期で、ピーピーギャーギャーうるさいばかりで20年以上続いた、メインチャネル常時ワッチの習慣も終わりを告げた。 パソコン通信の世界も、他人の非難中傷、悪口等々が増えて、うんざりしてしまった。 ボードオペをやる気力が無くなった。pc−vanも解約した。 パソコンは子供のゲーム機と化した。 |
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停滞期 新居浜 |
1993〜 | 転勤となったが子供の学校の関係で、単身赴任となる。 マンションの窓からは、明石山系の山々がよく見えた。 冬には雪が積もり、春には雪形が馬のように残る。 別子村や、鉱山跡には何回か行ったが、山に登ろうとは思わなかった。 この頃山に行くと言えば、滝の宮のゴルフのことだった。 職場では、一人一台パソコンになっていた。 電子メールの使用が多くなり、資料はパワーポイントかエクセルで作り送ってくるようになった。 家でまでパソコンを使う気にはなれなかった。 |
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迷走期T 徳島 |
1995〜 | また単身で転勤した。故郷に25年ぶりに帰ってきた。 小中学校の同級生と会うようになった。。 同窓会を企画し、30年ぶりに集まった。250人ほど出席した。 その時、同窓会名簿等を作るのにパソコンが必要となった。 pc9821 v200を買った。 しかしすぐに子供にやった。 単身で外食なものだから、ついでに飲み歩き元々デブが本デブになった。 ジャズの古いレコードのコレクションを始めた。 鮎喰川のリサイクルショップで、古いレコードプレイヤーやアンプ、スピーカーを手に入れた。また酒を飲んでレコードを聴く生活が始まった。 |
PC−9821V200 CPU MMXPentium(200MHz) MM 64MB DISK 3.1G win98 |
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復活期T | 1998〜 | 新町川のボードウォークにパラソルショップが出来た。 そこで中古のカメラを買った。 怪しげなお兄ちゃんの口車に乗ったが、すでにシャッター泣きがしている使い込んだものだった。 このcanon A−1との出会いがターニングポイントとなった。 単なる物珍しさで買ったが、散歩に持っていくようになった。古いカメラのコレクションも始めた。 近所の花などを写していたが、遠出をするようになった。 滝や野鳥を写しに山をはいずり回った。 車も中古の四駆にした。 子供が東京へ行ったので家内と一緒に住むようになった。 フィルムが山と溜まって整理出来なくなった。 子供が新しいパソコンを買ったので、V200が返ってきた。 スキャナーで画像を取り込むが手間と時間がかかる。 初めてデジカメを買った。 オリンパスの140万画素は非常に美しい画像がとれた。 レンズも良かった。 しかし世間の目は冷たくフィルムカメラでないとコンテスト等には出せなかった。 展示会に出すと、額代と焼き付け代で7000〜10000円/枚もかかる。 高い趣味だと思った。 |
MM128MB プリンター CANON F870 スキャナー EPSON GT−8700F win98SE OLYMPUS C1400L 1280*1024 |
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写真クラブ参加期 | 1999〜 | 徳島新聞のカルチャーセンターで写真講座に参加。 毎週末撮影会に参加、展示会も2〜3回/年参加する事となり、写真を撮る事とその成果を展示しみんなに見てもらう事に喜びを感じた。 滝シリーズは結構高い評価を得た。 阿波踊り写真コンテストにも応募して入選する事も出来た。 しかし、数ばかり多く写しても自分では納得出来ない時期が続いた。 日本野鳥の会にも参加。 那賀川の野鳥園でハイイロチュウヒの撮影に夢中になり、望遠も購入した。カメラもオート機を購入した。 しかし山に行っても野鳥のろくな写真は撮れなかった。 |
minolta α 500o望遠等々 |
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写真迷走期 | 2000〜 | 友人の子供達が結婚する時期となった。 四季に参加して、スナップ写真を撮り写真アルバムをプレゼントする事が多くなった。 デジタルデーターを送ると写真アルバムを製作してくれる会社がある事を知り(mybook)沢山アルバムを作ってプレゼントした。 喜んではくれたが、追加の希望がない所を見ると総評は高くない事を知った。 画像ソフトを購入して、貼り付けたり、電線を消去したりして色々なテクニックを覚えた。 |
paintshop7等 |
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復活期U | 2000〜 | マンションから一軒家に引っ越した。CATV会社がインターネットサービスを始めた。早速加入。確かに早い。 ホームページが10M無料で付いてきた。 写真のサイトを立ち上げる。 P工房が近所に出来た。 見に行くと多くの人がパーツを買っている。 簡単に組み立て出来ると言っている。 店員に適当に選んで貰う。 CPUは出たばかりのアスロンの1.2Gにした。 理由は安いから。 持って帰って、ケースにマザーボードを付ける。標準化が進んでいるので迷うこともない簡単に付く。 CD−ROMを付け、FDを付け、HDDを付ける。ケーブルも図面の通り付ければ、色や形状で間違い無くつけれるように出来ている。ネジ穴も間違うことはない。 グラフィックボードを差し、CRT、KB、マウスを付けとりあえず電源を入れるとBIOS画面が出る。ここでOSのセットアップFDからOSをインストール。 なんだこれは? 簡単すぎる。こんなので良いのか? 世の中は確実に変わってきていた。 メーカー品に比べてFANがやかましい。 山に登っても全然痩せなかった。 |
下り256K、上り128k ホームページ 10M cpu アスロン1.2G メモリー256KB*2 HDD35GB 7200rpm ボード MSI K7Tpro2 FSB233 KT−133 Gefoce2MX400 win98SE |
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騒動期T 血染めパソコン事件 |
2001〜 | CD−R/Wを中から増設しようとして、ケースの鉄板に手の甲をぶっつけた。安物のケースで鉄板が折り返し処理をしていない。血管が切れて血がピュ−ッと吹き出した。PC血染め事件であった。後からよく見るとケースの表から差し込むことが出来た。 | +CD−R/W +HDD35GB +TVボード +1394ボード +MO +ミノルタフィルムスキャナー winMe |
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騒動期U グラフィックボードには気を付けよう |
2001 | DirectX8.0が出たのでバージョンアップ。 再起動してDOS画面から変わったところでCRTがフラックアウト。何にも見えなければ何にも出来ない。 V200を引っ張り出して、インターネットで確認。 KT133はGefoceと相性最悪。バージョンアップが必要とある。 V200でsafeモードの手順を確認。キーボードの打ち込み順番を記録。 もとのPCに戻し、画面が見えないまま記録した手順でタイプインする。無事safeモードに入り画面が出る。DirectX8.0をアンインストールして再立ち上げ、バージョンアップして再度DirectXをインストール。無事動くようになる。難しいものだ。 これから新しいソフトをインストールする時はよく確かめなくっちゃ。 液晶ディスプレイを買う。 |
16インチ 1280*1024 71,000円で購入 CRT 12000円でネット売却 |
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新世紀T 東京 |
2001年末 | V200を***オフで売却。5000円。ネットならメモリーだけでも、もっと高く売れる。失敗。東京へ転勤 INSに加入。子供のお古の東芝ノートパソコンを使用。 山歩き情報を見て、奥多摩、高尾、秩父、鎌倉などをウォーキング。 |
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ADSL騒動 高松 |
2002〜 | 高松に転勤。池のほとりに住む。 このマンションCATVは入っているが、インターネットは出来ない。 YAHOO 8Mに申し込む。 繋がらないやんけ!!局から4KM以上は無理だとのこと。 REACHDSLにする。400Kbpsしか出ない。 Bフレッツにする。3Mしか出ない。 100Mなんて宣伝するなよなあ。 ここのマンション自然環境はよいけれど通信環境最悪。 |
ADSL8M→reachDSL→ADSL12M→Bフレッツ winXP |
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ホームページ作らなきゃ | 2003〜 | この年で遊ぶこともあまり無い。せっかく香川に来たのだから、そこいら辺の山でも行くか。 一年でずいぶん登った。 ホームページを作ろうと思い立った。前のサイトはブロバイダーが変わったので使えない。残骸は残っているが更新出来ない。 今は100M無料だ。 山歩きの記録を残しておかなくちゃ。 パソコンもレベルアップしなきゃ。 マザーボードが火を噴いた事件ははまた次回。 |
hp開設 | |
続く | ![]() |