冬の里山 太龍寺山  2021年12月14日  
里山倶楽部四国編 

- 太龍寺山 かも道 太龍寺道 ―

今日もいい天気の予報。

久しぶりにかも道を通って太龍寺山に行ってみよう。

皆さんのレポートによく出てくる山犬像にも合ってみたい。



何処に駐車してよいかわからない。

かも道の案内図では、加茂名中学校の道路向かいにPのマークがあるが、現地の空き地には駐車場の標識はない。

此処はお松が処刑された原因となる五反地跡。

此処に停めても良いのかもしれないが?

皆さんのレポートに多いお松大権現の奥の駐車場に停めさせていただく。



猫大仏と剱山本宮



猫神様にお詣り。

駐車させていただいたのでお賽銭をはずんでおく。



境内には鐘楼が建設中。



お松大権現は門松も建ってお正月の準備万端。



加茂名中学校の横から車道に出て進むが、なにかおかしい。

目の前に見える土手を那賀川だと思いこんでいた。

この土手は、氾濫した加茂谷川の土手だった。

いつの間にか随分と間違って進んでいた。

引き返して、新しい惣道橋を渡る。

氾濫した加茂川谷川の土手は素晴らしく改修されている。

これでもう氾濫しないかな。



見覚えのある赤白のペンシル標識。

あらためて案内板を見る。



やはり先程の五反地跡が駐車場のようだ。

でも何故駐車場の標識がないのだろうか。




一宿寺に着く。



ものすごい数の無縁墓。

こんなに多くの人が行き倒れたのだろうか。



かも道には南北朝時代の丁石が残っているが、このお寺の境内にもいくつかの丁石が集められている。



かも道は4.8kmの道のり。

登り始めは荒れた急登。



かつて三十三観音様が祀られていた石室跡。

観音様は現在一宿寺に保管されているそうだが、お参りは出来ないようだ。



何箇所か車道と交わる。

かも道の岩石はなんだろうか?

砂岩や泥岩のようにも見えるが、この山は石灰岩が多い山なので、色々混ざっているのかもしれない。

地質図で見てみる。

ジュラ紀中期以降の砂岩や泥岩の混成岩の中に、石灰岩やチャートが入り込んでいるようだ。

この辺は秩父累帯南帯で 中生代ジュラ紀(約1.6億年前)の新しい地層(砂岩泥岩混成岩)に、

三畳紀(約2.2億年前)の石灰岩やチャートが付加された構造を持ち、 現在も隆起を続けている。



面白いのは、太龍寺近辺は数キロ毎に帯状に地層が変化して、新しい年代になっていることだ。

太平洋からプレート移動とともにやってきた岩石が、

海溝に沈み込んだ時に剥がれた付加体が、年代とともに追加されたのだろう。



竹林の中を登って行くと三十五丁の丁石。

一丁は約109m。

この丁石は南北朝時代のもの。

年号が北朝で使われていたものなので、この辺は北朝の勢力下であったことが多い。

徳島は、最初南朝方が多かったが、途中で北朝方に変わった地が多い。



空の石室が所々にある。

西国33観音霊場の観音様が祀られていたそうだ。

何故遍路道に観音様が?

そして何故今は一宿寺に集められているのか?

昔、四国霊場は観音浄土を目指す補陀洛信仰の道場であったらしい。

足摺や室戸はその霊場とされたようだ。

何故太龍寺が観音浄土とされたのだろうか。

少し登ると、緩やかな歩きやすい道となる。



単調な道を丁石と石室跡を慰めに登る。

観音様が石室に帰ってくれればよいのだけれど。



なかなか残りのキロ数が減らない。



見事な大木がある。

焼山寺にも多い赤樫だろうか。



よく整備された道が続く。

しかしまだ3.5キロもある



大師像がある。

弘法大師がここから鶴林寺に飛んでいったとか。



眼下に那賀川の流れが見える。

その向こうに鶴林寺山。



ズームアップしてみると電波塔と鶴林寺の三重塔が見える。



大理石の採掘場跡を過ぎる。

此処の大理石が国会議事堂に使われたのかな?



岩場を通る。

この石灰岩は、太龍寺の敷石などにも大量に使われている。



石灰岩の欠片が沢山落ちている。



落ちてくる岩を大師がゲンコツで受け止めたと言われるコブシ岩。



少しずつ太龍寺ににじり寄っている「にじり石」。



なだらかな道が続く。



相変わらず丁石と石室。



チョット単調な道が続く。



嘉永7年の遍路墓



まだ1/3くらい残っている。



段々近づいてきた。

標高3600m付近を少しのアップダウンを繰り返しながら進む。



もうすぐ太龍寺道と合流する。



白い実と花が付いた低木が多く植えられている。

何の木だろうか?

イズセンリョウのような気がする。

始めて見たかも。



見事な大樹。

これも赤樫のような気がするが。

調べても太龍寺山の老樹などの資料は見当たらない。

調査をしてくれれば良いのだけれど。



朽ちかけたように見える老樹もあるが、まだまだ樹勢は元気だ。



太龍寺道からの道と交わる。

右 かもみち 左 かくりんじ の道標。

この道標から、一宿寺からの古道は「かもみち」と呼ばれていたことが解る。

此処はまだ標高400m位。



此処から駐車場へ降りて平等寺まで行くことが出来る。

11.3㌔もあるんだ。



急なコンクリート道を上がっていく。

道端には沢山の仏様。



中には単なる石が祀られている。

太龍寺道の舟形道標もある。

此処から27丁あるらしい。

太龍寺道の道標は降りるに従って残りの丁数が少なくなる。

かも道とは反対だ。



三十丁で仁王門に着く。

この仁王門は鎌倉時代の建立。

他の建物は江戸時代に建て替えられている。



此処の仁王さんは赤仁王。

まるで巨神兵のような迫力がある。

この仁王さんも鎌倉時代の作。



六角堂



経典を保存している六角堂を過ぎて護摩堂へ。



持仏堂



龍天井






太龍寺には貞享元年(1684年)に建立された三重塔があったが、昭和28年に、四国中央市の興願寺に移設された。

その三重塔跡が何処なのかわからない。



元禄時代の絵図に依ると現在の多宝塔あたりのようにも見える。



阿波名所圖解によると本堂の左上の広場に建っている。



三重塔の古い写真



太龍寺は目前になって急な上りがある。

鐘楼門で鐘を一撞き。

また長い石段。



やっと本堂のある境内に出る。

江戸時代に寄進された相輪橖が有る。

此処に三重塔があったのだろうか。



多宝塔



本堂にお参り。

この本堂で約標高500m。



本堂の周りをぐるっと廻る。



鎮守社にお参り。



ロープウェイ駅に向けて急階段を降りる。



ロープウェイ駅で一休み。



ロープウェイが上がってきた。

その向こうに舎心ヶ嶽。



ミニ88箇所を見ながら急坂を上る。



四丁の舟形丁石がある。

いわや道のものだろうか。



石仏を狛犬のようにして、ふだらく彦の命を祀っている。



お不動さんも



舎心ヶ嶽の大師像



正面に回って対し像を拝む。



岩をよじ登って、大師像横からの眺め。

この景色を見ると、この場が観音浄土を目指す補陀落信仰の霊場であったことがわかる。



橘の火力発電所の煙突。



羽ノ浦方向だろうか



ロープウェイ駅が見える。

丁度ゴンドラが降りていく。



太龍寺山頂を目指す。

北地方向へ行かずに、いわや道方向に少し下る。



同表には左 平等寺 と書かれている。



新しいいわや道の標識。



岩や道から離れて山頂へ。



途中で右へと整備された道が続いている。

何処へ行くんだろうか。

調べると中山へと降りていく道らしい。



急坂を登りきると山頂広場に出る。

道標は読めない。

巨樹の切り株が並んでいる。

自然に倒れてのではなく、人為的に切り倒されたようだ。



古い石段を登ると広い広場に出る。



三角点のある太龍寺山 山頂618mに着く。

三角点はない。

4等三角点「龍山」600.1mはロープウェイ駅の西、3等三角点「大滝寺」601.6mはここから東にある。

何故最高点のこの山に三角点がないのかも不思議。

観音聖地のため三角点を設置するのに憚られたのかもしれない。



頂上には観音堂跡がある。

百度石、手水水と敷石が僅かに残っている。

太龍寺山は「補陀落山」と呼ばれている。

補陀落山は、観音菩薩の浄土。

太龍寺の本尊は虚空蔵菩薩だが、何故この山が補陀洛山と呼ばれて観音様が祀られていたのだろうか。

この補陀洛山は、阿波秩父観音霊場の11番だが、この現状ではお参りも出来ないと思われる。

かも道の観音像が撤去されていることや、この補陀落山の観音堂が失われていることは何を示しているのだろうか。

四国霊場が成立する遥か前、弘法大師以前の補陀洛信仰の形跡を消し去ったのだろうか。

最近の研究では、上一宮大粟神社と焼山寺そして太龍寺などと、熊野行者との関係も取り沙汰されている。



補陀洛山の御朱印は舎心ヶ嶽と共に、太龍寺社務所でいただける。

これを見ると十一面観音が祀られていたようだ。

尚、香川の志度寺と長尾寺の山号は「補陀洛山」だ。



観音堂跡でお弁当。

ロープウェイもよく見える。

今日の弁当はローソンのデリシャスハンバーグ弁当。

美味しそうに見えたが、冷えてしまったハンバーグは美味しくない。

スマートフォンで山犬嶽を調べるが、詳しい道順が載っていない。

やっとyou tubeで見つけるが動画が長い。

そのうちに、一日の通信量を越えましたと出た。

続けますかに、ついNOとしてしまった。

突然ネットが繋がらなくなった。

AUに切り替えても繋がらない。




仕方がないのでネットで少し見た北地方向に下る。

凄い古樹の根。

少しばかり下ってみたが、見つけられない。

ウロウロして時間も遅くなったので諦めることにする。

後で調べると、この先50mほど行けばオオカミ像があったらしい。



天照大神の祠を過ぎてモニュメントを見に行く。

この天照の祠は元禄時代の絵図にもの載っている。

古くからあったようだ。



見晴らしが良い所に建っているモニュメント。



ロープウェイ駅に帰ってくると14時。

随分とユックリしてしまった。

太龍寺道を下って行く。



3キロほど下るようだ。



擬似木の階段道は足に応える。



墓地に出ると、廃屋があり階段道が終わる。



此処から加茂に出ることも出来るようだが、道は荒れているようだ。



昔は此処まで民家が有り農道があったようだ。



みかん畑だったのだろうか。

石垣が続いている。



若杉山遺跡の東屋に着く。



石灰岩の岩穴の前に大師像



どんどん下って、人家のある所までやってくる。



此処で車道に出てくる。

太龍寺道の入り口だ。



さて此処からかも道入り口まで4km。

お松権現までは5㌔以上あるだろう。



立派な人家があるが生活感が感じられない。



御旅所をすぎるとお月さんが上がってきている。



えびす神社を過ぎる。



もう水仙が咲いていた。

水害が多かったので農家の近くには船が置いてある。



那賀川の流れを見ながら歩く。



十八女大橋に着く。

昔は鶴林寺から降りてきて、この辺りから渡し船で渡り、かも道に向かったのだろうか。

足の裏が痛くなってきたので休もうとするが、日が落ちてきた。

休まずに急ぐ。



かも道の入り口に帰ってきた。

もう大丈夫。

農道脇で、一休み。

勝浦の蜜柑で喉を癒やす。



それにしても加茂谷川の改修は大規模だ。



猫神さんのの自動販売機で冷たいドリンクを購入。

無人売店でも、お芋さんを購入。

安くて美味しかった。

混み始めた道を自宅へと急ぐ。





総歩行距離 18.2km

累計標高差 ±1,299m

総行動時間 8時間41分






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