里山の秋 コリトリ 一ノ森 剣山 2007/11/23〜4
         

− コリトリ 〜 一ノ森 〜 剣山 〜 次郎笈 〜 行者道 〜 お花畑 〜 追分 〜 コリトリ

剱神社表参道を登る。

待ちに待った3連休。昨年までは遠くへ山と温泉を楽しみに出かけた。

四国に帰ってくると本土に出かけるのも億劫。

そう言えば剣山で霧氷が綺麗だとのニュースを見た。

剣山頂上ヒュッテも随分と長い間泊まっていない。

風呂もトイレも綺麗になったと言う。

直前に申し込むが運良く個室を予約することが出来た。

さて剣山頂上ヒュッテに泊まるとして何処まで足をのばそうか?

思案中にエントツ山さんの掲示板で若かりし頃の勝ぼうずさんがコリトリ橋のたもとで写っている写真を見た。



勝ぼうずさん、勝手に写真お借りしました。許してね。

あの赤い欄干には何か記憶がある。

昭和45年11月にふらりと登った剣山と一夜の宿を借りた剣山頂上ヒュッテ。

その不思議な夜がじわっと思い出される。

所が何処から登ったのかが今ひとつはっきりとしない。

そのことがずっと心の何処かに引っ掛かっていた。

これはやはりコリトリから登ってみなくてはならない。

今日はヒュッテ泊まりなのでそう急ぐこともない。霧氷は明日の朝じっくりと楽しめばよい。

と言うことで6時前に出発。

所が車のエンジンの掛かりが悪い。

バッテリーが弱くなっているのか?



川井峠から見ると剣山頂上はガスの中。

一ノ森は白く霧氷で輝いている。これは楽しみだ。

コリトリには7時38分に着いた。

コリトリ」とは「垢離取」と書き、「垢離」とは「神仏に祈願するため、

冷水を浴び、身体のけがれを去って清浄にすること」を意味する。

勝ぼうずさんの写真には、垢離取川の標識が見られる。

かつては剣山へ登る者が、ここで身体を清めてから頂上へ向かったという。

以前は、コリトリから出発し、劔神社・龍光寺を参拝し、東の一ノ森を経由して剣山の山頂を目指すのが

信仰登山のメインルートであったという。



久しぶりのコリトリ橋は、昔とは雰囲気が違っていた。

昭和51年の剣山大災害で何もかも流されてしまったのだろう。

その後作られた治水ダムや林道の為に様子はがらりと変わっている。

木造の橋の上に屋根があったというコリトリ橋はゆがんだガードレールのある無粋な橋となっていた。

これでは清流日本一という穴吹川の景観も台無し。

昔は此処から大勢の参拝者が剣山に登ったのだろうか。



橋を渡ると怖い顔の毘沙門天。

シキビが新しい。大事に祀られている様。

私達もお祈りして出発。

7時40分。

標高755m。

剣山頂上までの単純標高差1200m。

この道は林道でもなく災害復旧用の資材運搬路となっている。

大型のタンクローリーやダンプがひっきりなしに通る。



車道を少し行くと登山口がある。

車道で切り取られた様になっているので昔の参拝路入り口はもう少し下流にあったのかも知れない。

突然の急坂&ザレ道。

特に最初は踏み外すと下の林道に転落する。殆ど崩落している。写真などとても写せない。慎重に登る。

その後も手をつく様な急坂が続く。



10分程登ると車道に出た。

この登山道は車道を串刺しにして直登する。

また、急坂となり踏み跡は殆ど崩れて消えている。

草の根を掴みながら登る。

手が泥だらけになった。



細尾根も今にも崩れそう。

また車道に出て、滑りそうな石段を登る。



やっと参拝路らしくなり、落ち葉の絨毯の上を歩く。

大木が多くまだ黄葉が残っている。



突然石垣が現れて大岩に橋のたもとにあったのと同じ様な毘沙門天が金色に描かれている。

広い石垣の跡があるが、かってあったと思われる社はなくなっている。



その後直登し二度程車道を横切った後、車道を歩く。

見上げると稜線の樹氷が美しい。



龍光寺に8時34分着。

富士の池を捜したらコンクリートの小さな池だった。

昔はもっと違っていたのかな?



良く解らない「ハミノ窟」ハミ(マムシ)を閉じこめているのか?



参拝者が此処で水垢離をしたと思われる。

「内外清浄にして 心身垢なし」で参拝しないといけないらしい。



柴燈大護摩の場

昔、一ノ森ヒュッテや剣山頂上ヒュッテを開設した新居熊太翁が此処に立派な茶屋を営んでいたと言うがその跡形もない。

立派な階段を上る。



本堂はなかなか立派だが、かなり痛んでいる所もあって応急修理がされていた。

本堂の周りに古い材木などが積み上げられている。



龍光時の裏手に周り、コーヒーブレイク。

見下ろすと富士が池谷は見事なまでに復旧工事が完成していた。

51年の災害の規模がうかがい知れる。



遠くに本宮山とその右奥に焼山寺山が見える。

休憩後、足場の悪い階段を上ると剱山本宮神社がある。



神社の右に大先達川口重兵衛翁の像

左には水害で崩壊した社の残骸が残っている。



神社左奥から急坂を登る。



林道に出て(此処が上の駐車場と言われている所だが今は工事関係者以外は通行禁止)

9時4分。



急坂だが気持ちの良い道を行く。

行者道でよく見かけた一ノ森の標識。後90分。



植林地帯を歩くのかと思っていたが、ブナの自然林もある。



素晴らしい公園の様な登山道を行く。

昔大勢の人が列をなして登って行ったことだろう。

この辺で標高1400m。

やっと見残しの辺りまで登ってきた。



ブナやハリギリの大木が立派

ミネカエデやハウチワカエデなどの落ち葉が多い。



あっと言う間に追分分岐に到着。9時37分。

また此処でコーヒーブレイク。

大きな三脚を背負った男性が降りてきた。

今朝の景色は最高だった事だろう。

 

リョウブの大木とブナが立派



左へと一ノ森へ向かう。

シモバシラを踏みしめながら歩くのは気持ちが良い。



ダケカンバの明るい林となる。

雪が少し現れ始める。



見晴らしの良い所に出て正面に赤帽子山。



その向こうに八面山と綱付山



また少し急坂になると後30分の標識。

10時8分。



葉を落としたハリギリの大木に樹氷が光っている。

風に吹かれて粉雪の様に樹氷が舞い落ちる。

キラキラと輝き光の国にいる様。



登るにつれて樹氷が舞い散る。



鹿が囓って短くなった笹原を登る。



息を呑む様な美しさ。



剣山の方向は真っ白。

早く行かねば..



にくぶち峠への分岐を過ぎると雪が深くなる。と思ったら樹氷が落ちた跡。



ああ霧氷がドンドン飛んで行ってしまう。



一時間早く登り始めていれば良かったなあ。

まあ、樹氷は明日の朝じっくりと堪能しよう。




突然視界が開ける。



木屋平の谷の右には高城山や高丸山がそびえている。

左には中尾山から赤帽子への稜線。






白骨樹のオブジェがお出迎え。



あっと言う間に剣山方向の霧氷は消えてしまった。

アカカンバの林が美しい。



やっと一ノ森ヒュッテが見えてきた。



権田山、平家平方面



お馴染みの白骨樹





中央高城山(レーダーが雲に隠れている)その右の尖りが高丸山



10時45分着。

広場でコーヒーブレイク。

コリトリ橋から3時間5分

素晴らしい歩きをすることが出来た。

満足感で一杯。



一ノ森三角点に登る。

空気が澄んでいて、太郎、次郎そして三嶺が美しい。



ひょっこり顔を出す三嶺



南の大岩に移動して食事。



槍戸山が眼下



太郎、次郎



左から砥石権現、旭ノ丸、高城山、天神丸、高丸山、西三子山

高丸山が一番美男子



白骨樹に思えても青い葉が出ている樹もある。

もう一度一ノ森ヒュッテに帰ってくる。



来年4月末までクローズ

もう少し開いていればいいのになあ。



一ノ森頂上に来ると5人程の団体がいた。

矢筈山から津志嶽への稜線が魅力的。



丸笹山を見下ろして分岐に降りてくる。




二の森を越えて剣山へとエッチラ登る。



北には大川山、龍王山、大滝山、女体山。

その向こうに高松の街。港や男木島女木島も見える。船が入港するのまで見える。

左には坂出や瀬戸大橋。その左には大麻山。



砥石権現の左には眉山そして徳島の街。

その向こうに淡路島。

こんなにクッキリ見えたのは初めて。



時間がたっぷりあるので景色をゆっくりと楽しむ。




次郎笈、三嶺、塔の丸、矢筈山の大パノラマ。

遠くには石鎚山を始めとする愛媛の山々。



丸笹山と赤帽子の向こうに貞光と穴吹の町

阿讃山脈や瀬戸内海。



逆光の次郎笈



一ノ森と槍戸山



ゆっくりしてからヒュッテに入る。



名物おでんでビールを飲んで部屋に帰ってお昼寝。





夕陽を見ようと4時半頃に山頂へ。

まん丸なお月さん。

次郎笈の右に高知の海が輝いているる



じっと待っていると、とてつもなく寒い。

走り回りながら日の落ちるのを待つ。

三嶺の向こうに夕陽が落ちる。

丸亀から来られたご夫婦と共に日が落ちきるまで見入ってしまう。



宝蔵石の向こうにお月さん。



熱々のお風呂に飛び込む。

冷え切った体がほかほかになる。

ちなみに石鹸で体や髪を洗ったりすることは出来ません。

今日は団体などで満員。

予約無しで来た若者達は泊まることが出来ずに帰っていった。

ここが山小屋とは違う所。

宿泊客殆どが三嶺への縦走予定。

大分の二人連れの女性。岡山の団体。大阪の人など皆さん徳島は素晴らしい縦走路があって良いねと言ってくれる。

登山歴60年、昔はこのヒュッテに50sの荷物を担ぎ上げていた76歳の男性も居た。

明日は三嶺に泊まり天狗塚まで縦走するそうだ。

夕食は、コンニャクの刺身が特に美味しかった。

柚子の利いた蕎麦も絶品。

団体が引き上げてから新居さんとゆっくりと話をする。

昭和45年頃のことを良く覚えておられた。

ソロモンの秘宝堀りのお爺さんの事、修行僧のこと等、話が尽きなかった。

地酒石鎚山(剣山というのは無かった)を何杯かお代わりして(若女将がおでんをサービスしてくれた)、

星空を眺めて、8時には寝床に入った。

明日は冷えて樹氷が見えます様に。

続く